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逮捕大国ニッポンは、訴訟大国アメリカを笑えるか [司法]

先日、ドキュメンタリー映画「100万ドルのホームランボール」を観た。
バリーボンズの打った新記録ホームランボールをめぐり、訴訟大国アメリカの姿、人種差別、司法において「所有」の定義とはなにか、メディアはどうあるべきか、アメリカイズムとはなにか、などなど、多くを考えさせられる名作だった。これをコメディータッチで描けるのがアメリカなのだろう。
マックのコーヒーが熱過ぎたと訴えて何億も賠償金をもらったとか、電子レンジで猫を暖めたら死んでしまったとメーカーを訴えた人が勝訴したとか、日本では考えられない訴訟の数々について、日本人である私たちは「ありえねぇ」と思う。
それに対して怒るとか憤るのではなく、アメリカの酷さというかバカさ加減を笑うことが多い。
確かに「訴訟大国アメリカ」の姿は私たちに奇異に映るし、実際、多くの問題を抱えてもいるだろう。

しかし、日本はそれを笑っていられるほどマトモな国なのか。
<大阪府警がNさん逮捕は言論弾圧であると自白-「普通は逮捕されない」>
世界陸上に伴う野宿者の排除に抗議していた人が逮捕された。
大阪市内で使用を禁止されているディーゼル車を、昨年、市内で運転した疑い。しかし、逮捕された男性はこの車を半年以上使っていない。また仮に使っていたとしても、ディーゼル車を運転したからって逮捕・拘留は、やっぱり通常なら「ありえねぇ」だろう。

近年、こうした過剰反応とも思える「不当逮捕」が相次いでいる。
<派遣反対ビラを自衛隊官舎で配って逮捕 憲法学者ら抗議>
東京都立川市の自衛隊駐屯地に隣接する官舎の郵便受けに、「イラク派遣反対」のビラを配布した市民団体のメンバーが先月末、住居侵入容疑で警視庁立川署に逮捕されていたことが4日、分かった。(ニュース記事より)
<葛飾政党ビラ配布事件>
日本共産党に関連する僧侶が東京都葛飾区内のマンションの戸別のドアポストに日本共産党のビラを配布し、その際のマンションへの立入り行為が住居侵入罪に該当するとして逮捕・起訴された事件。表現の自由に対する弾圧との批判もある。(Wikipediaより)
<法政大学に抗議する有志一同>
大学側による立て看板の撤去や、ビラ巻きの許可制導入に反対していた学生29人が、突然、大学内に突入してきた200人(!)もの私服警官に取り囲まれ、有無をいわさず逮捕されてしまった事件です。(HPより)

ビラを配ったら逮捕される国、ニッポン。
私たちは訴訟大国を笑いながら、自身は逮捕大国への道を走り始めているのかも知れない。とは言え、ビラ配りによる逮捕事件は、立川・葛飾とも無罪を勝ち取っている。
私には理解しがたい。国家は強行採決できるほどの権力を持ち、北九州で餓死を出すほど乱暴で、死刑で人を殺せるほど暴力的なのに、なにをそんなに怯えているのか。ナウシカだったら「怖くない、怖くない」とか言ってやるところだ。
最近では自衛隊による市民運動の監視活動も問題化したが、平和主義も市民派も共産党も、このままじゃ滅びてしまいそうなほどのマイノリティじゃないか。なぜこんなに怯え、過敏になり、必死に取り締まっているのだろう。
少しでも都合の悪い芽は摘んでおきたいのか、気に入らなければ捕まえなきゃ気がすまないのか、イヤな奴が視界にいる事すら耐えられないのか、もっと他の理由があるのか。まぁ、逮捕したら逆に視界に入りまくってしまうわけですが。

訴訟大国アメリカは私たちにとって笑い事かも知れないが、自分の国が逮捕大国になる事は、どう考えても笑っていられる話ではない。

<動画>
世界陸上反対デモ
野宿者の排除

<関連>
世界陸上の予防拘束を許すな!
「世界陸上の裏舞台」…人権無視、権力不当行使なのだ!!
排ガス規制違反での逮捕について予防拘禁の復活と批判~大谷昭宏氏指摘(東京新聞)
雨宮処凛がゆく!「オール憲法違反!!の巻」

<アピール文書を転載しているブログ記事(一部)>
大阪で不当弾圧:世界陸上を前に/釜ヶ崎パトロールの会   N君を返せ~大阪で予防拘禁的な不当逮捕   大阪で「道路運送車両法違反」による不当弾圧発生   世界陸上の陰で不当逮捕   世界陸上にあわせて不当逮捕   世界陸上の影で起きていること   N君を返せ~大阪で予防拘禁的な不当逮捕   警察は不当弾圧をやめよ!   「世界陸上」やるためにN君を逮捕!   日本の司法って…


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橋本弁護士が訴えられ、横峯議員が訴え、ネカフェ難民は5400人? [事件、ニュース]

引越し準備で多忙なため、気になったニュースをいくつか取り上げてお茶を濁したいと思います。

橋下弁護士を提訴へ 光母子で「懲戒呼び掛け」(8月27日 共同通信)

そんなわけで、一時はアクセスが落ち着いていた橋下弁護士に関するエントリーが、またアクセス数が増えている。好きにしてください。
私は橋本弁護士の呼びかけた懲戒請求は無謀だと思うし、それによって弁護団が業務を妨害されたのは事実だろう。
しかし、世間がどう反応するかが見え見えの状態なので、勝訴しても敗訴しても、世間の評判としてはマイナスにしかならない事が分かりきっている。敗訴すれば「当たり前だ、バカ!」と言われ、勝訴すれば「不当判決だ! 裁判所も弁護士とグルだ!」と言われて、司法への(不当な)不信と怒りが増大するに違いない。
まぁ、判決が出るまで世間が覚えているかも怪しいですが、いずれにしてもこの提訴自体が、光市事件の弁護団バッシングを更に激化させることは明白でしょう。
弁護団の中でも一部の弁護士しか提訴に踏み切らなかったのは、この辺りを考えての事なのか、とにかく今は本来の裁判に没頭すべきという考えからなのか、もっと別の理由なのか。

それにしても、記事に「所属する弁護士事務所によると」じゃなく「所属する芸能事務所によると」とあるのが、橋下弁護士の橋下弁護士たるユエンだな。

<関連>
ついに弁護団vs橋下徹氏で全面戦争ですか
ついに!!橋下弁護士提訴される。

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8月22日さくらパパにスキャンダル!「辞めんといかんかねぇ」
8月25日横峯議員に「厳重注意」 週刊誌報道一部認める
8月28日さくらパパ「女性への暴力なく賭けレート低い」週刊新潮を提訴

当選早々、娘を追いかけてイギリスの遠征に出かけた横峰議員。それについてメディアでは批判や疑問が起こらなかったのもどうかと思う。
で、今回のスキャンダルに関して当初は内容をほぼ認め、本人が辞意とも取れる発言を周囲に漏らしていたとも伝えられ、民主党からも厳重注意を受けた。のに、今度は提訴ですか。
不倫はどうでもいいとして、賭けゴルフは基本的に賭博罪にあたり、「一時の娯楽に供する物」(飲食など)ではなく金銭を賭けると賭博罪に問われる可能性がある。といっても、実際には小額の場合まで禁止すべきではないとの見方も強いようで、横峯議員が「小額だから」と主張するのには、それなりの法的な意味があるわけだ。
まぁ、民主党を叩くチャンスを狙っているメディアは多いだろうから、どっちに真意があるのかは分からない。しかし、それにしたって横峯議員の変節ぶりについては不思議に思う。
だいたい、彼は公人(国会議員)なので、仮に記事が100%正しくないとしても報道の自由があり、勝訴できる可能性は低いんじゃないだろうか。

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“ネットカフェ難民”は全国に5,400人、厚生労働省が実態調査
「お客様は難民ではない」ネットカフェの業界団体が声明

全国で5400人ってのは、いくらなんでも過小評価じゃないかと思っていた。ちょっと調べたら、全国に1,361店舗を構えるネカフェ業界団体が今回の調査には協力していない。協力しなかった理由としては、ネカフェ難民報道の風評被害で客足が減った店舗がある事、お客様を安易に難民扱いする事への危惧、などが上げられている。
業界団体の抗議に対する是非はまた考えるとして、業界団体が協力を拒否した中での調査にどれだけ正確性があるのか、疑問は深まるばかりだ。
仮にこの調査結果が正しいとして。
「ネカフェ難民」の雇用状況は、非正規労働者が約50%、失業者が約25%、無業者が約16%、正社員が約5%となる(私の手計算でパーセンテージ算出)。無業・失業の率がそれほど高くないのは、そういった人たちは難民を通り越してホームレスになるからだろう。

また年齢分布では、20歳代が26.5%、50歳代が23.1%と高かった。
昨今、貧困問題を語るときに、若者の貧困が大きく取り上げられるのは重要なことである。今までにはなかった事で、そうした新たな貧困が生まれた背景には、ここ最近の経済政策が根深く関わっていると予想されるからだ。
しかし一方で、中年・高齢者の貧困も現存している事を忘れてはいけない。
旧山谷でホームレス支援を行っているNPO「山友会」のHPによれば、炊き出しの度に400~500人もの人々が食事を求めてやってくる。こうした情況は、中年・高齢者の「昔ながらの貧困」も、決して解決していない事を教えてくれる。


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暴力はマイノリティを救うか [総論]

通称「赤木論文」が話題になったのは、もう結構前の話だ。特に取り上げる必要も無いと思って放置していたが、雨宮処凛のオールニートニッポン第9回を聞いて思うところがあったので、遅まきながら取り上げたい。
といっても、今回オールニートニッポンに出演していたのは赤木氏ではなく、革命的非モテ同盟の書記を勤める古澤氏だ。番組内での言動から推察すると、古澤氏は赤木氏に対して批判的な印象を受けた。だが私は、この二人の「意図せざる共通点」にこそ注目したい。

雑誌「論座」に掲載された、赤木論文と呼ばれる文章の概要はこうだ。
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赤木氏にとって「平和」とは、現在の社会的・経済的な立場の固定を意味する。
その「平和」の中で、31歳フリーターである自分に生涯チャンスは訪れず、貧困から脱するのは不可能だ。しかし、戦争が起これば社会は流動化し、フリーターにも立場逆転のチャンスがめぐってくる。例えばかつて、政治思想家の丸山眞男が軍隊に入った際、自分よりも学歴の低い一等兵にひっぱたかれたように。
現在の固定化した貧困層の立場を覆せるチャンスが「戦争」にはあり、だからフリーターにとって、「希望は戦争」なのだ。
=============================

さて一方で古澤氏は、連帯についてこう述べる。こちらも概要だけ紹介しよう。
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非モテもニートも、弱者ではない。何故なら、だれもが人を殺せる程度の暴力行使能力があり、「人を殺せる確信」があるからだ。
国家は結局のところ暴力装置であって、民衆一人一人の暴力を結集することで大きな力を持つ。
しかし、国家が結集しているその能力は、本来は民衆一人一人の自分のものなのだ。人を殺しえる程度に強い我々は弱者ではないのだから、民衆が連帯すれば力になり、社会を変える事も可能だ。
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彼らのようなマイノリティ(非正規雇用者・非モテ者)が苦境に立たされているのは事実だろう。貯金のあるニートの私より、赤木氏のほうがよほど不幸で苦労人だし、モテに関しては私も勝ち組とは言えないものの、「恋愛至上主義粉砕!」とか叫ぶほど行き詰ってもいない。
そして、彼らの抱える問題が個人だけではなく、社会的な問題と関わっている事も否定しない。
けれど違和感を覚える。彼らはそれぞれ異なる問題意識を持ち、異なる立場におり、実際の主張・活動も異なっていながら、その源泉には同じもがある。それは「暴力行使能力への自信」だ。
赤木氏は「暴力行為によって社会的立場を覆せる」と考え、戦争という暴力行為に参加することで、自身の救済を望む。例え戦死しても、フリーターとして惨めに死ぬよりも、英霊として靖国に祭られたほうがマシだとも言う。一方で古澤氏は「暴力を行使できる能力と自信があるからこそ、私たちの連帯は社会を変え得る」と言う。
正直なところ「健常者の男の子って、幸せでいいなぁ」としか私には思えない。

私は身体障害のある女なので、自分が暴力を行使できるという自信など微塵もない。むしろ暴力を行使されることへの恐怖のほうが、よほど根源的なものとして身体に染み付いている。
私(のような人間)は戦争になれば真っ先に殺されるだろうし、いかに戦争バンザイと思っても徴兵すらされず、戦場に行くことは出来ない。出産もできない体なので、「産めよ増やせよ」に参加する事すら不可能だ。
戦争になれば、思想信条を問わずその身体性だけで、私(のような人間)は間違いなく「非国民」である。だから私には、戦争による立場逆転はありえず、どんな死に方をしても靖国に祭っていただける事も無いだろう。
また、いかに殺意があっても、古澤氏が前提としている「だれもが保有している、人を殺すくらいの能力」を、私は幸か不幸か保有していない。少なくとも自分ではそう思っている。だから古澤氏の理屈で言えば、私には「強者であるが故の連帯能力」は無いのだろう。

彼らのに苦境を決して軽視しないが、それでも尚、私には彼らの言葉が「幸せな絵空事」に思える。彼らの言う希望も連帯も、結局のところ、健常者で、出来れば男で、高齢者ではない、戦闘能力を保持した人間にしか開かれていないからだ。
それは、正規雇用者にしか安定収入が開かれていないことや、モテる人間にしかある種の「尊厳」が開かれていない事と、私には同じように見えるのだけど。

<関連>
オールニートニッポン「若者たちの"心の病"と"非モテ"問題」
オールニートニッポン「フリーターの"希望"は戦争か?」
戦争は“希望”なのか?


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「レズは殺してオッケー」をイギリスは認めるのか [死刑制度]

昨日、mixiで知った内容について取り上げたい。
イラン人女性のペガー・エマンバクシュさんが、本国へ強制送還される期日が迫っている。
ペガーさんはレズビアン。だが、イランでは宗教的な理由から同性愛は禁じられており、ペガーさんのパートナーは逮捕・拷問の末に石打ちによる死刑で亡くなっている。イスラム刑法によれば、レズビアン同士の性交への罰則はむち打ち100回、また3回以上繰り返された場合は死刑と規定されている。
パートナーが死刑になった事を受け、ペガーさんはイギリスへ移り、難民申請を申し立てた。

しかし、イギリス入国管理局は「本国へ帰っても危険にさらされる可能性はない」「彼女が同性愛者である証拠がない」との見解を示し、難民申請を拒否している。
彼女は今月シェフィールドで逮捕され、現在は入国管理局の収容所にいる。そして、明日8月28日に本国へ強制送還される事になっている。帰国すれば、ほぼ間違いなく「死」が待っている。
国内では同性愛結婚も認めているイギリスが、なぜこの難民申請を許可しないのか、私にはよく理解できない。そして「同性愛者であることの証拠」とないったい何なのか。
実はこうした問題は、日本でも起こっている。
チームS シェイダさん救援グループ
こちらは16年に渡る戦いの末、第3国への出国という形で2005年に幕を閉じた。難民に極めて非寛容で、同性愛にもまだまだ理解の浅い日本では「勝利」と呼べるだろう。

さて、ペガーさんについての支援活動はおそらく急激に広がっている。
日本でも有志によって外務省に要請書が提出され、ごく短期間の協力要請にも拘らず、賛同者数は207名。イギリス大使館前でも抗議が行われた。また、ネットでの署名は世界規模で既に4000を超えているという。
この問題には、死刑の是非や同性愛者への権利要求がもちろん関わってくるが、2007年に先進国イギリスが「レズは殺されてもオッケー」と認めることは、やはり私には理解しがたい。なにしろ彼女が求めているのは、ごく単純に生存権であり、彼女がそれを奪われる理由は、同性愛者であること一点のみだからだ。
死刑の存廃や、同性愛結婚の是非について意見が分かれるのは理解できる。しかし、既に死刑を廃止し、同性愛者の結婚も認めているイギリスが、何故この難民申請を受け入れようとしないのか。世界は不思議なことだらけである。

<関連>
ペガーさん強制送還反対
(問題の概要、署名への協力依頼、抗議行動の紹介など)
【転載】レズビアンの石打死刑に反対ー要請文ぜひ賛同者に(英文も)


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懐疑本が売れるワケ、映画「A」が流行らなかったワケ [総論]

環境問題についての、いわゆる「懐疑本」がブームだ。地球温暖化は実は問題じゃないとか、ダイオキシンは怖くないとか、リサイクルは環境に悪影響だとか、非常に分かりやすく言えばそういう本である。
書店に行くと「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」が山ほど平積みで置いてある。アマゾンでも、「ダイオキシン」「地球温暖化」「リサイクル」などで検索すると懐疑本がとにかく上位に出てくる。
私は環境問題の専門家じゃないし科学者でもないので、実際どうなのか判断できる能力は無い。
むしろ興味深いのは、懐疑本が何故こんなに売れるのかということだ。

メディアは基本的に恐怖が売りである。北朝鮮でも凶悪犯でもテロでも、とにかく怖い!危ない!と言い続ければ視聴率が上がる。地球温暖化もつい最近までは、映画「不都合な真実」ブームに乗って報道番組が特集を組んだり、バラエティーにアル・ゴアが出てみたりといった具合で、「温暖化ってこんなに怖いですよ」との喧伝がなされた。
しかし、この「恐怖が売り」には、実はもう一つ仕掛けがある。メディアで提起される「恐怖」のほとんどは、私たちにも加害性があるとの結論には決して達しないのだ。

例えばオウム事件のとき、数年にわたってメディアはその報道一色となったが、すべて「オウムは狂信的で理解不可能な悪魔」としか伝えなかった。一方で映画「A」「A2」のような「私たちにも共感可能なのに凶悪犯」である一面は一切タブーとされ、観客動員もままならなかった。
映画「A」は、私たちにも共感可能なフツーの人間としてのオウム信者の姿を捉える一方、それにも拘らず尊師の命令があれば殺人もいとわない彼らの姿も同時に伝える。なぜフツーの人々である彼らと、私たちには想像不可能な殺人集団(になり得る集団)としての側面が両立するのか。私たちは混乱する事になる。
そして「A2」に至っては、オウム信者を取り巻く現状を描く事で、私たちの地域社会にこそ疑問を呈している。2作を見ると、私たちはどうしたって「確かにオウムはおかしいが、もしかしたらそれを生み出す私たちの社会もおかしいのではないか」との想像にたどり着かざるを得ない。
けれど、それは私たちにとってまさに「不都合な真実」だ。自らに加害性の一端がある事を想像しなくてはならず、悲劇を繰り返したくなければ、単に実行した人々を厳罰に処すだけでは解決しない。私たち自身が、私たち自身の社会を見直すことが求められる。それは現状の否定であり、つまりは私たち自身の反省を促すものだ。
目の前には紛れも無い悲劇がある。無かったことには出来ない。だが、その現況について自身を振り返るのは、あまりにも面倒で苦痛だ。
では、悲劇が起こった事を認めつつ、しかし自分を責めないために出来ることはなにか。
「うちらとは関係ない人が勝手にやった事」にしておくのが、一番都合が良い。自分たちの社会とは分断された別世界の、まったく共感不可能な人々が、まったく共感不可能な価値観・ロジックの元に罪を犯した事にしておけば、私たち自身はなんら反省することなく生きていける。
オウム事件に対して多くのメディアと市民は、意図的にであれ無意識にであれ、その道を選択した。

環境問題の話に戻ろう。環境問題は、いわゆる凶悪犯罪よりもかなり明確に、「私たち自身の加害性」を認めざるを得ない分野だ。私たちが今行っている経済のあり方や、生活様式や、考え方、価値観が根本的に見直されない限り、解決の道はないだろう。
それはとても面倒で苦痛なことだ。エコバックを買うくらいはいいとしても、それ以上はちょっとねって話である。
しかし、ことは科学だ。「有害である」「危険である」と100%証明することはほとんど不可能に近い。つまり場合によっては「無い事」に出来てしまう分野なのである。
そこで私たちに「救い」をもたらしてくれるのが懐疑本だ。
「ダイオキシンなんて怖くない」「温暖化なんて起こらない」「リサイクルなんてしなくて良い」との、科学の権威をまとった主張の数々は、私たちの現在をすべて肯定してくれる。今のまま消費しまくって適当にゴミを捨てて良いですよ、と言ってくれる。嬉しい。そして楽だ。だから売れる。

懐疑本を支持する人の多くは「環境問題は狂信的な科学者が捏造してるだけで、本当は怖くない」と言う。「実は環境問題なんて起こっていない、という事こそが多くの科学者にとって”不都合な真実”なのだ」と言う。だから環境問題は、実は起こっていないのに、科学者が自分の利益や名誉のために作り上げているのだと。
確かにそういう事も起こり得るだろう。
けれど、では私たち自身にとって、「不都合な真実」は一体どちらだろうか。
私たち自身が反省せざるを得ない「深刻な環境問題」という真実なのか、私たち自身を肯定してくれる「懐疑論」なのか。答えは言うまでも無い。
自分にとって好都合な可能性は、私たちを「安心」させてくれる。しかし一方で、自分にとって不都合な可能性を見つめる事によってしか、私たちの「安全」はやって来ないのではないか。

<関連>
ビデオニュース「ダイオキシン問題は終わっていない」
映画「不都合な真実」
懐疑論に反論記事が出た
地球温暖化への懐疑論に関する考察


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犯罪被害者を持ち上げ、切り捨てる社会 [犯罪被害者]

北朝鮮の拉致問題は、いったいどこへ行ったのだろう。一時期はテレビをつけるとこの話題ばかりで、かなり長期に渡って取り上げられていたのに、最近ではちっとも報道を目にしない。
少なくとも以前の基準で考えれば、今だって取り上げべき話題が無いわけではない。
被災地お見舞い両陛下、蓮池さん夫妻にもお言葉(8月8日)
北朝鮮・拉致問題:拉致から29年 被害者家族ら、ビラや署名活動で訴え (8月14日)
矢倉さんの鑑定結果 酷似の北アナと父の音声「似る」(8月22日)
拉致解決へ連携確認=日・マレーシア首脳(8月24日)
確かに今でも、時たま報道を見かける事はある。しかし以前と比べれば情報量・頻度とも比較にならないのは、誰が見ても明らかだろう。
かつては、安部首相が支持される理由として拉致問題が大きな部分を占めていた。ところが今では、その安部首相ですら拉致問題に言及する事はほとんど無い。アメリカが態度を変えた事もあり、以前のように「まずは拉致が解決されなければ他の問題に手をつけない」の一点張りをしていられる情況でもなくなってきている。
拉致問題をあくまでも北朝鮮問題の一要素として捕らえ、他の問題もふくめて優先順位を付け、どれからどう手を付ければ有効なのかを考えていくのは当然のことだろう。
だからこそ、日本政府は拉致問題を以前より長期的な目で捉え、後回しにするのなら、その重要性を忘れない事が強く求められるはずだ。外交の場面で訴えるかはともかく、国内では拉致問題を風化させないよう努力し、何より自分自身が、この問題と真摯に関わり続ける必要があるに違いない。しかし、日本政府はそれを実行していると言えるのか。

ひるがえって、一般市民はどうだろう。
多くの人々は北朝鮮の拉致問題を、外交や政治課題としてどうするのが有効であるかを考えるより、とにかく被害者家族の心情を思えば‥‥と反応してきた。いかに世界情勢が変わろうとも、他国(例えばアメリカ)の態度が変わろうとも、政治家の態度が変わろうとも、被害者の苦痛にはまったく変わりが無い。にも拘らず、その苦痛まで見捨てられてしまうのは何故なのか。
拉致問題は「被害者の身になってみろ」といった機運が高まる大きな要因になった。そうやって被害者を不憫に思い、心から同情したはずの人々が、あっさりとこれを忘れてしまっているように見える。
北朝鮮を叩くだけ叩き、「ふざけるな、被害者の事を考えろ!」と言っていた人々が、今取り残されつつある拉致被害者家族に、少しでも目を向けているだろうか。

昨今、犯罪被害者が絶対的な正義とされ、メディアで大いに持ち上げられるケースが多い。しかし、それが本当に被害者のためを思っての事なのか、本当に被害者のためになるのか、拉致問題の今を見ると疑問を持たざるを得ない。
国にとって都合の良いときは、例えば北朝鮮を叩く道具として、例えば重罰化を進める道具として、被害者感情が大いに利用される。
一方で、国にとって都合の悪い被害者は見捨てられ、時には非難を受ける事すらある。桶川ストーカー殺人(警察の怠慢が影響した事件)では「被害者女性がブランド物のバッグを持っていた」と警察が発表し、被害者への偏見による批判がなされた。イラク人質事件(国のイラク派兵が要因)では、被害者とその家族が激烈なバッシングを受け、「勝手な奴は死んで当然」とまで言われた。
そして都合よく持ち上げられた被害者の多くも、国側の事情が変われば実にあっさりと見捨てられ、世間からも忘れ去られていく。例えば拉致事件被害者家族のように。

今の「被害者のための重罰化ムード」が、本当に被害者のためを思っての事なのか。
その答えはおそらく、数年後に出るのだろう。例えば判決が確定したあと、それでも続く「被害後」の人生に、どれだけの人が寄り添おうとするだろうか。

<犯罪被害者支援サイト>
R-NET(北朝鮮拉致問題)
桶川ストーカー事件 国賠訴訟を支援する会
イラクで人質になった方々への経緯表明と激励のアピール

<関連>
被害者遺族叩きという「流れ」ができてしまうのか


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長勢執行は最後まで異常だった [死刑制度]

つい2日前、東京拘置所の周辺に行ってきたのだった。
あそこは都内にしてはとても緑豊かで、少し行くと荒川があり、辺りは静かな住宅街だ。
その隣で。
<死刑執行>3人を執行 長勢法相の下で10人
正直、油断していた。
お盆前に執行されるとの説が有力だったし、何より、あと4日で内閣改造だ。つまり長勢甚遠は大臣から議員に戻るんだ。政治とカネ疑惑が次々に浮上し、あと数日で大臣職を辞するであろう人間が、普通、その権限を使って人殺しはしない。と思っていたが、甘かった。

考えてみれば、長勢大臣には油断を付かれっぱなしだ。
まず昨年2006年。この年、9月26日までの法務大臣は杉浦正健であった。宗教上の理由もあって「死刑執行のサインをしない」と発言した杉浦前大臣は、後に発言を撤回したものの、実際に法務省側から提示された死刑執行命令書への署名を拒み、任期中に一度も死刑を執行しなかった。
次の大臣として長勢甚遠が就任。しかし12月後半になっても死刑の執行はなく、死刑廃止論者の中では「今年は一人も執行されずにすむ」と安堵が広がっていた。
ところが。
2006年12月25日、クリスマス。4名の死刑が執行された。
過去6年の死刑執行は一度に1~2人が通常であったのに対し、4名の大量執行。日本の死刑確定者が100人に迫ろうか、という時期だった。
年末も差し迫った時期、しかもクリスマスに、クリスチャンの男性も含めて死刑が執行されたことは衝撃を与え、他国でも大きく取り上げられた。いや、他国のほうが大きく取り上げた、と言うべきか。
ニッポンの死刑の真実と 『ル・モンド』

年は変わって、2007年4月27日。3名の死刑が執行された。
通常、死刑執行のほとんどは国会閉会中になされる。大臣自身は(歴代いずれの大臣も)閉会中を狙っているわけではないと言うものの、実際には執行に対して国会での追及を逃れるため、閉会中に執行していると見られる。
ところが、この執行は国会会期中であった。しかしゴールデンウィーク直前で、国会において充分に追及・議論がされたとは言いがたい。
とはいえ、この執行は「オレは国会会期中だろうが何だろうが、やると決めたらやるぜ」的な長勢イズムを象徴する執行ではあった。前回の執行から4ヶ月しかたっておらず、わずか就任半年で7名もの死刑を執行した大臣は異例であるからだ。
またこの頃、日本の死刑確定囚は100人を超えていたが、この3名の執行によって、偶然にも確定者は99人となり、3桁を割った。
クリスマス執行以降、世論の支持を受けたと判断した長勢大臣が、「任期中に10人の執行を目指している」との噂が漏れ聞こえてきたのもこの頃だ。

そして今日、2007年8月23日。3名の死刑が執行された。
これで長勢大臣が死刑を執行した人数は偶然にもキッカリ10人である。
以前エントリーに書いたことが、ことごとく的中した。
【安部内閣は死刑も「強行採決」するのか】
時期も人数も、ここまであからさまに執行して見せるとは。言葉が無い。


<関連>
保坂展人のどこどこ日記「"長勢法相・11カ月で10人の死刑執行"に抗議する」
アムネスティ「日本 : 死刑執行抗議声明」
フォーラム90「抗議声明」
日米での死刑執行についてのヤフーフランスの報道を見て
「死刑」―長勢甚遠法相の命令はこれで10人
8ヶ月で10人が死刑;;
まるで米日同時死刑執行―先進国の例外
死刑も強行する安倍政権
慟哭
死刑執行、10カ月で2ケタ 「内閣改造前」批判も



<東京拘置所 周辺写真>

小菅駅ホームから見た東京拘置所。同じホームの右手へ行くと荒川が見える。


右手が東京拘置所。塀沿いの道を近隣の人々が行き交う。


左手が東京拘置所。道を挟んで右手は住宅街。


右下は猫。数メートル左手には東京拘置所。


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今更、10000ヒット御礼 [雑記]

東京から帰ってきた。家を決めてきました。
あと半月で引越しなのにまったく実感がなく、危うく家も決めずに9月を迎えるところだった。
私は前職もシフト制で曜日・日にち感覚が希薄だったけど、仕事辞めたらもうそりゃ、どうかと思うほどそういう感覚が無い。気がついたら8月も後半だった。そして方向感覚も無いので東京では迷いに迷った。歩きすぎ。

ところで、今更ですが当ブログはめでたく10000ヒットを突破しました。
今の時点で14597アクセス。ありがたい話です。
今後ともごひいきに。


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お知らせ&中国で日本人に死刑判決 [死刑制度]

引越し準備のため、23日までお休みします。
ちょっと東京へ行ってきます。

今度ともよろしくお願いしますです。

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気になるニュース
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麻薬密輸の2邦人の死刑確定=最高裁が執行を検討-中国
【大連(中国遼寧省)20日時事】
中国で麻薬密輸密売罪などに問われた日本人2人に対する控訴審の判決公判が20日午後、中国・大連市内で開かれ、遼寧省高級人民法院(高裁)は2被告の控訴を棄却し、執行猶予なしの死刑判決とした一審判決を支持した。中国は2審制のため、2人の死刑が確定した。
 死刑が確定したのは元暴力団組員、武田輝夫被告(64)=名古屋市出身=と鵜飼博徳被告。
 同法院は刑の執行について「最高人民法院(最高裁)の許可を得る手続きを取る」としており、最高裁が最終決定することを明らかにした。中国で日本人の死刑判決が確定するのは初めてで、最高裁は慎重に検討するとみられる。 
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中国の人が同じ罪を犯せば、中国ではほぼ間違いなく死刑なのでしょう。
だけど北京オリンピックも控えているし、最近の日本人は死刑も推奨だが中国嫌いも相変わらずだし、そんな最中に中華航空の飛行機が沖縄で炎上したし、その辺を加味してどういう判断を下すのか注目。そして日本のメディアと「世間一般」がどう反応するかも注目。
まぁ、あんま取り上げられないかも知れませんが・・・。

この判決に対して「麻薬密売はそりゃ悪いけど、だからって死刑は無いんじゃないの」と思うのは、月並みな感想だろう。
しかし死刑廃止国から見れば、日本の死刑判決は(それがいかなる罪でも)、すべて「死刑は無いんじゃないの」なわけだ。で、そんな国に自国の被告人を引き渡さない国は当然ある。
日本では代用監獄があり、取調べに弁護士は立ち会えず、取調べの録画・録音も出来ず、といった事情があるので、在日米軍が犯罪を犯しても日本に引き渡してくれなかったりする。
世界では既に死刑廃止国が多数派である事に対して「死刑は日本の文化だから、他の国がどうだろうと関係ない!自国で判断すべき問題だ!」とか言うのは自由だが、司法制度は国際問題にもなり得るって事を頭の隅くらいには置いて頂きたい。

この点については、後日またゆっくりと。


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「極北のナヌーク」に他者との共存を観る [映画]

1922年に放映された「極北の怪異」(極北のナヌーク)は、それまでのニュース映像や記録映像の域を超え、長編ドキュメンタリー映画というジャンルを確立させた作品だ。
冒険家でもあったロバート・J.フラハティが、極北に生きるイヌイットとともに生活しながら撮影。「未発達で野蛮」とされてたイヌイットの生活を通して、彼らの人間性や文化・技術を映し出している。

民族史としても貴重な映像で、情報化が進んだ今観ても驚かされるシーンの連続である。
おそらく本作を見る人はかなり限られると思うので、ネタバレ全開でいくつかのシーンを紹介しよう。
まず冒頭に字幕の説明が入り、撮影を引き上げて帰ろうとした際に「もう一年いるといい 映画になる話もっとあるよ」と引き止められた事を紹介し、「映画は完成させねばならぬことが 彼はわからなかった」と続く。私なんかは、この時点で純朴さに心を打たれてしまった。
そして映像が始まり、まず驚くのは「ちょっと立派なカヤック」程度の船から、ナヌーク一家全員がぞろぞろと出てくるシーンだ。子どもを入れて家族計5人、プラス子犬一匹。その人数がどうやったらあの船に乗れるのか、興味をかきたてられ、その英知に感激を覚える。
何度か漁や狩のシーンも出てくる。
狩でセイウチを捕まえ、ようやく陸に引っ張ってきて解体が始まる。セイウチにナイフを向けるのを観て、正直ウッと思っていると、「獲物は家に持ち帰らない 飢えているから すぐ食べる」と字幕になる。続いて、解体を終えたその場でセイウチを食べるイヌイットたちの姿が映し出される。肉は生。
肉の塊をナイフで細かくしながら食べるのを見て「残酷だな‥‥」とハンバーグは平気で食べる私が思っていると、食べているイヌイットたちの実に嬉しそうで純真な笑顔が映し出される。これがもう、言ってみれば100万ドルの笑顔だ。彼らを残酷だとか思った自分が恥ずかしくなる。
ラストはイグルー(イヌイットの住む雪の家。この建設シーンも感激)で眠る一家の姿でしめくくられるのだが、なんと彼らは、気温0度以下の室内で、毛皮に包まって裸で眠るのだ。このシーンはその前にも出てきて、そのときは「裸で寒くないのか!?」と不思議にしか思わないが、ラストでは印象が違う。観客はそこに、「お互いの肌で暖めあって眠る一家の姿」を見る。

当時、イヌイットは既に鉄砲で狩を行っていたが、フラハティはあえて原始的な狩の方法を撮影した。また、イグルーの中を撮影する際、実際の住居とは別に撮影用の大きなイグルーを作り、半分を壊して撮影した。 おそらくは実際のイグルーだと広さも明かりも足りないので、わざわざセットを作って撮影したのだろう。
こうした手法は、後に「実際と違う」と問題になったが、私はむしろ、その演出にこそフラハティの真意があるように感じる。
知らないばかりに誤解や偏見の対象となる人々を表現するとき、「彼らだって銃も使ってるし、私たちと同じように文化的です」とアピールする事も出来る。だが、フラハティはそうしなかった。
むしろ彼らの古典的な生活の中にこそ、独自の英知や人間性を発見し、「彼らはこんなにも私たちと違う。だからこそ素晴らしいのだ」と言って見せた。 その事にこそ意味があるのではないか。


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