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長勢執行は最後まで異常だった [死刑制度]

つい2日前、東京拘置所の周辺に行ってきたのだった。
あそこは都内にしてはとても緑豊かで、少し行くと荒川があり、辺りは静かな住宅街だ。
その隣で。
<死刑執行>3人を執行 長勢法相の下で10人
正直、油断していた。
お盆前に執行されるとの説が有力だったし、何より、あと4日で内閣改造だ。つまり長勢甚遠は大臣から議員に戻るんだ。政治とカネ疑惑が次々に浮上し、あと数日で大臣職を辞するであろう人間が、普通、その権限を使って人殺しはしない。と思っていたが、甘かった。

考えてみれば、長勢大臣には油断を付かれっぱなしだ。
まず昨年2006年。この年、9月26日までの法務大臣は杉浦正健であった。宗教上の理由もあって「死刑執行のサインをしない」と発言した杉浦前大臣は、後に発言を撤回したものの、実際に法務省側から提示された死刑執行命令書への署名を拒み、任期中に一度も死刑を執行しなかった。
次の大臣として長勢甚遠が就任。しかし12月後半になっても死刑の執行はなく、死刑廃止論者の中では「今年は一人も執行されずにすむ」と安堵が広がっていた。
ところが。
2006年12月25日、クリスマス。4名の死刑が執行された。
過去6年の死刑執行は一度に1~2人が通常であったのに対し、4名の大量執行。日本の死刑確定者が100人に迫ろうか、という時期だった。
年末も差し迫った時期、しかもクリスマスに、クリスチャンの男性も含めて死刑が執行されたことは衝撃を与え、他国でも大きく取り上げられた。いや、他国のほうが大きく取り上げた、と言うべきか。
ニッポンの死刑の真実と 『ル・モンド』

年は変わって、2007年4月27日。3名の死刑が執行された。
通常、死刑執行のほとんどは国会閉会中になされる。大臣自身は(歴代いずれの大臣も)閉会中を狙っているわけではないと言うものの、実際には執行に対して国会での追及を逃れるため、閉会中に執行していると見られる。
ところが、この執行は国会会期中であった。しかしゴールデンウィーク直前で、国会において充分に追及・議論がされたとは言いがたい。
とはいえ、この執行は「オレは国会会期中だろうが何だろうが、やると決めたらやるぜ」的な長勢イズムを象徴する執行ではあった。前回の執行から4ヶ月しかたっておらず、わずか就任半年で7名もの死刑を執行した大臣は異例であるからだ。
またこの頃、日本の死刑確定囚は100人を超えていたが、この3名の執行によって、偶然にも確定者は99人となり、3桁を割った。
クリスマス執行以降、世論の支持を受けたと判断した長勢大臣が、「任期中に10人の執行を目指している」との噂が漏れ聞こえてきたのもこの頃だ。

そして今日、2007年8月23日。3名の死刑が執行された。
これで長勢大臣が死刑を執行した人数は偶然にもキッカリ10人である。
以前エントリーに書いたことが、ことごとく的中した。
【安部内閣は死刑も「強行採決」するのか】
時期も人数も、ここまであからさまに執行して見せるとは。言葉が無い。


<関連>
保坂展人のどこどこ日記「"長勢法相・11カ月で10人の死刑執行"に抗議する」
アムネスティ「日本 : 死刑執行抗議声明」
フォーラム90「抗議声明」
日米での死刑執行についてのヤフーフランスの報道を見て
「死刑」―長勢甚遠法相の命令はこれで10人
8ヶ月で10人が死刑;;
まるで米日同時死刑執行―先進国の例外
死刑も強行する安倍政権
慟哭
死刑執行、10カ月で2ケタ 「内閣改造前」批判も



<東京拘置所 周辺写真>

小菅駅ホームから見た東京拘置所。同じホームの右手へ行くと荒川が見える。


右手が東京拘置所。塀沿いの道を近隣の人々が行き交う。


左手が東京拘置所。道を挟んで右手は住宅街。


右下は猫。数メートル左手には東京拘置所。


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コメント 8

藤田 美和

この猛烈な残暑の中 背筋が凍るとはこの長勢法務大臣の死刑執行への執念といえましょう。偶然 今朝(8.24)メイル版 ジャパンタイムズのトップで このニュースを読み、このサイトへ たどり着きました。かなり政治には関心が高いと自負して、必ず眼を通しているはずの新聞好きの私でさえも 見落としていました。長勢大臣といえば 話題になったのは 外国人研修生の入国に関わる 賄賂に等しき不正献金を 受けた 人物ではありませんか。生齧りながら、安倍政権とは アンシャンレジーム を企てているようにしか思えません。私は彼らの人権感覚に 震えがとまりません。
by 藤田 美和 (2007-08-24 12:00) 

sasakich

藤田さん

初めまして。訪問&コメントありがとうございます。
今回の執行についてテレビなどではほとんど扱われておらず、私も昨日、たまたまmixiのコミュニティを見て知りました。大臣一人が10人目の執行という異常事態にも拘らず、扱いの小ささに執行が常態化していると感じます。
藤田さんの仰るように、今回の執行が単なる「職務の遂行」ではなく、現政権の姿勢を象徴する出来事である事も、非常に重要だと思います。
by sasakich (2007-08-24 14:00) 

死刑制度に反対する日本国民

日本は死刑存置国ですが、それを考慮しても最近の常軌を逸した死刑判決の乱発。昨年12月からわずか8ヶ月の間に10人もの人が死刑を執行されるといったように最近の日本は、何か異常なものを感じます。
安部内閣は死刑も強行するのか、これが安部内閣の体質なのか?恐ろしいものを感じます。
世界の主流は、死刑廃止に向っており、現在死刑の執行が行われている国は、日本を含めわずか20数カ国を残すのみです。
人道と社会正義に反する死刑制度が一日も早く世界から根絶するのを願わずにはいられません。
by 死刑制度に反対する日本国民 (2007-08-24 21:46) 

sasakich

初めまして。来訪&コメントありがとうございます。
本当に異常ですよね。死刑存廃については議論があると思いますが、いずれにしても昨今の死刑判決の多さ・執行の頻度は、日本の死刑制度(の運用)が今までとは違う段階に入った事を示していると思います。
3名が執行された翌日にはオウム横山被告の死刑が確定し、殺しても殺しても死刑確定者が減らないのが今の日本です。
その中で、中国並みに執行をする国になるのか、他の先進諸国(アメリカ除く)に習って死刑廃止の方向へ進むのか、決断が迫られているように思います。
by sasakich (2007-08-24 22:05) 

DH

はじめまして。早速で恐縮ですが、一言御許し下さい。

単刀直入に言って、死刑廃止後の最高刑についてはどのようにお考えですか。

◇現行の無期懲役のままでよい。
◇仮釈放のない絶対的終身刑を導入する。
◇無期懲役刑をも廃止して、むしろ軽罰化すべき。
◇所謂「修復的司法」を積極的に取り入れる。

等々が考えられるように思いますが、いかがでしょう。

ところで、やや余談になりますが、Le Mondeの記事の引用は権威付けですか。国際社会の動向に注意を払うことは必要だと思いますが、「日本国内の世論を啓蒙するのは困難なので、<外圧>をむしろ積極的に利用して、政治家の<英断>によって言わば一種の<トップダウン>方式で廃止に持っていく。世論などあとからついて来る」考え方には賛同しません。

人々が冷静且つ充分な時間をかけて様々な機会・場において議論を深め、その結果、国民の総意として、すなわち国会において(死刑廃止法案が)過半数の支持を得ることによって廃止を選択する、こういうプロセスを経て廃止されるのが望ましいと思います。

私自身は存置派ですが、別段、何が何でも死守すべきだとは考えていませんし、将来的には日本においても廃止される可能性がないわけではないと思います。
でも、現在のような「問答無用」「天上天下唯我独尊」的な廃止運動のありかたでは一般市民の支持・共感が得られにくいのではないでしょうか。

「日本人の人権意識が低いから運動が前進しない」と相手のせいにするのではなく、廃止運動自体には問題が無いのか、自省することも必要ではないでしょうか。

仮に死刑が廃止されるべきものであるという前提に立って、その根拠となりうるものを考えた場合、結局のところ冤罪の可能性(危険性)ぐらいしか見出せないと思います。
しばしば、「生命の尊厳」「生きて償う」などと言われますが、死刑囚たちの犯した行為を直視する時、そのような言葉は何とも空しく響いて来ます。
by DH (2007-08-27 02:17) 

sasakich

DHさん

初めまして、来訪&コメントありがとうございます。

>死刑廃止後の最高刑についてはどのようにお考えですか
個人的には終身刑の導入、及び修復的司法の取入れが必要だと思います。ただ修復的司法については、具体的な運用面での判断が非常に難しいように思います。その辺りは専門家ではないので、なんとも言えません。
また死刑の存廃に関わらず、刑罰以外の側面からも被害者の救済を同時並行で行う必要があると考えます。重罰化、被害者救済については、よろしければ以下のエントリーをご参照下さい。
http://blog.so-net.ne.jp/die-in/2007-08-24
http://blog.so-net.ne.jp/die-in/2007-06-19
http://blog.so-net.ne.jp/die-in/2007-08-11

>ところで、やや余談になりますが、Le Mondeの記事の引用は権威付けですか
そういうつもりはありません。クリスマス執行について、時期的に古いのでWEB上のニュース記事がほとんど削除されており、現在では国内の記事を引用する事が難しいのです。
また、外圧に負けて(納得していないのに)死刑を廃止する事は私も望ましくないと思いますが、とりあえず外からはこう見えている、という事実を知って損はないのではないでしょうか。

>でも、現在のような「問答無用」「天上天下唯我独尊」的な廃止運動のありかたでは一般市民の支持・共感が得られにくいのではないでしょうか。
実際の死刑廃止論者が「問答無用」「天上天下唯我独尊」と思っているかはともかく、周囲にそのような印象を与えているのは事実だと思います。
死刑廃止の側からは重罰化論が「問答無用」に見えており、重罰化論の側からは死刑廃止が「問答無用」と見えているでしょう。これはおそらく、論理的な正誤の問題ではなく、お互いのおかれた立場の違いから来るのではないかと思います。
その点については、よろしければ以下のエントリーをご参照ください。
http://blog.so-net.ne.jp/die-in/2007-07-11

>「日本人の人権意識が低いから運動が前進しない」と相手のせいにするのではなく
>しばしば、「生命の尊厳」「生きて償う」などと言われますが、死刑囚たちの犯した行為を直視する時、そのような言葉は何とも空しく響いて来ます。
これは私個人へのコメントでしょか、死刑廃止運動一般にたいしてのコメントでしょうか?
少なくとも私自身はこのような事を言っていませんし、そうした既存の死刑廃止運動・死刑廃止論には、共感する部分もありつつ「それじゃ反感を買うだけだろう」と疑問も持っているところです。

長文になり失礼致しました。またのご来訪をお待ちしております。
by sasakich (2007-08-27 16:09) 

DH

丁寧な御返事ありがとうございます。

御紹介のエントリー拝読いたしました。共感する所も多いです。
マスメディアの煽情性は改まらないでしょうね。そもそも彼らは「社会正義の実現」のために活動しているわけではなく、あくまでも視聴率を稼いで、みずからの生活を維持・安定させるためにお仕事に励んでいるのですから。

ただ、いくつか気になる点もあります。

>昨今、犯罪被害者が絶対的な正義とされ、メディアで大いに持ち上げられるケースが多い。

>光市事件の報道で、大手メディアの流す情報はひどく偏っている。被害者遺族が絶対的な正義として反論を許されない存在になり、弁護側が何を言っても、その主張は「荒唐無稽」との前提でしか伝えられない

そうとばかりは限らないのではないでしょうか。ブログなどでは遺族側に対する批判も結構見られますし、現実に本村氏に対する脅迫もあると聞きます。大手メディアの中にも以下の拙エントリーで触れたような議論も存在します。検察の主張・立証に疑問を投げかけています。

http://blog.duogate.jp/minzda/?EP=17853082&disp=entd_p
http://blog.duogate.jp/minzda/?EP=17853490&disp=entd_p

確かに所謂ワイドショー的な番組においては偏った言辞を耳にしますが、あくまでも「ショー」ですから、視聴者の方も必ずしも「絶対的な正義」とまでは見做していないと思います。もちろん、中には鵜呑みにする人々もいるでしょうが。

一口に「犯罪被害者(遺族)」と言っても、考え方は人によって様々であり、死刑を求めない遺族がいても何ら不思議ではありません。

死刑廃止を求めている原田正治氏にしても、他方で「犯罪被害者(遺族)の救済・権利擁護も忘れてほしくない」という主旨の発言をされています。この点に関しては廃止派・存置派を問わず一致できるのではないかと思っています。

厳罰化を求める被害者(遺族)が多いのは、従来余りにも犯罪被害者の人権が蔑ろにされてきたという歴史的な背景が反映されているのではないかと思います。言い換えれば、犯罪被害者(遺族)に対する金銭的、物質的、精神的なケアがもっと充実されて行けば厳罰化を求める声にも変化が生ずるのではないでしょうか。
厳罰化を止めるためには、ただ抽象的な理念を説くだけでなく、被害者(遺族)救済・人権擁護に結びつく具体策が提示されることが必須だと思います(とりわけ少年法擁護派の方々にはそのような声に耳を傾けてほしい)。


>現実としては少年院のほうが再犯率は圧倒的に低い。このような「被害者の望む事」と「被害者のためになる事(再犯罪率を下げること)」が残念ながら必ずしも一致しないといった事実

「再犯率を下げること」は当該事件の被害者に直接利益をもたらすと言うより、社会全体に対して利益となるということでしょう。もとより、被害者(遺族)も社会の一員ですから、回りまわって被害者のためにもなる、と言えるかも知れませんが。

あと、藤井誠二氏のこと等コメントしたいこともありますが、あまりに長文になってしまうので今回は控えさせていただきます。

最後になりましたが

>これは私個人へのコメントでしょか、死刑廃止運動一般にたいしてのコメントでしょうか?

申し訳ありません。sasakichiさん個人に対するものではなく、廃止運動一般に対するものとして書き込みました。お詫び申し上げます。
by DH (2007-09-01 20:57) 

sasakich

DHさん

>ブログなどでは遺族側に対する批判も結構見られますし、現実に本村氏に対する脅迫もあると聞きます。
そうですね。特に本村さんに対しては、当初はバッシングが強かったように記憶してます。本村さんの態度は変わっていないのに、「世間」の態度があまりにも変わったことも含め、本当に被害者のためを思ってやってるのか?ってのが私の疑問です。
あと、ネット上の被害者バッシングに対しては、私も「それは違うだろ」と思います。

>大手メディアの中にも以下の拙エントリーで触れたような議論も存在します。検察の主張・立証に疑問を投げかけています。
ご指摘ありがとうございます。
この件については新聞・雑誌などの文字媒体と、テレビメディアでかなり違いがあると思います。仰るように文字媒体では、弁護側の言い分を紹介するムードもあるのですが、テレビは相変わらずという印象です。

>死刑廃止を求めている原田正治氏にしても、他方で「犯罪被害者(遺族)の救済・権利擁護も忘れてほしくない」
>という主旨の発言をされています。この点に関しては廃止派・存置派を問わず一致できるのではないかと思っています。
そうなんですよね~。原田さんの存在は、死刑廃止論者の中ではどうしても「死刑を望んでいない」部分がクローズアップされてしまい、個人的には疑問に思うこともあります。
彼は処刑して欲しくなかったとは言ってるけど、完全に「許した」訳ではないし、被害者救済の必要性も訴えていますから。
その辺、私は廃止論者だからこそ、死刑存廃以外の部分にも耳を傾けたいと思っています。
多くの被害者が今の情況で重罰化だけに頼らざるを得ないのは、ある意味で当然だと思います。重罰化や死刑に反対するからこそ、重罰化以外の被害者救済の道を真剣に考えなくてはいけないと自問自答しているところです。

>「再犯率を下げること」は当該事件の被害者に直接利益をもたらすと言うより、社会全体に対して利益となるということでしょう。
補足させていただくと、私は「すべての被害者が」再犯率の低下を望んでいる(それに興味がある)とは思いません。
ただ、二度と同じような犯罪が起きて欲しくないと思う人は少なくないでしょうし、自分や自分の家族に被害を及ぼした少年が、出所後にまた犯罪を犯すのは多くの被害者にとって耐えられないことだと思います。その意味で、再犯率の低下が被害者救済(の一部)になり得ると思います。

いつも丁寧なコメントありがとうございます。
しばらくお休みしますが、ぜひまたいらして下さい。
by sasakich (2007-09-02 12:26) 

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