SSブログ

懐疑本が売れるワケ、映画「A」が流行らなかったワケ [総論]

環境問題についての、いわゆる「懐疑本」がブームだ。地球温暖化は実は問題じゃないとか、ダイオキシンは怖くないとか、リサイクルは環境に悪影響だとか、非常に分かりやすく言えばそういう本である。
書店に行くと「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」が山ほど平積みで置いてある。アマゾンでも、「ダイオキシン」「地球温暖化」「リサイクル」などで検索すると懐疑本がとにかく上位に出てくる。
私は環境問題の専門家じゃないし科学者でもないので、実際どうなのか判断できる能力は無い。
むしろ興味深いのは、懐疑本が何故こんなに売れるのかということだ。

メディアは基本的に恐怖が売りである。北朝鮮でも凶悪犯でもテロでも、とにかく怖い!危ない!と言い続ければ視聴率が上がる。地球温暖化もつい最近までは、映画「不都合な真実」ブームに乗って報道番組が特集を組んだり、バラエティーにアル・ゴアが出てみたりといった具合で、「温暖化ってこんなに怖いですよ」との喧伝がなされた。
しかし、この「恐怖が売り」には、実はもう一つ仕掛けがある。メディアで提起される「恐怖」のほとんどは、私たちにも加害性があるとの結論には決して達しないのだ。

例えばオウム事件のとき、数年にわたってメディアはその報道一色となったが、すべて「オウムは狂信的で理解不可能な悪魔」としか伝えなかった。一方で映画「A」「A2」のような「私たちにも共感可能なのに凶悪犯」である一面は一切タブーとされ、観客動員もままならなかった。
映画「A」は、私たちにも共感可能なフツーの人間としてのオウム信者の姿を捉える一方、それにも拘らず尊師の命令があれば殺人もいとわない彼らの姿も同時に伝える。なぜフツーの人々である彼らと、私たちには想像不可能な殺人集団(になり得る集団)としての側面が両立するのか。私たちは混乱する事になる。
そして「A2」に至っては、オウム信者を取り巻く現状を描く事で、私たちの地域社会にこそ疑問を呈している。2作を見ると、私たちはどうしたって「確かにオウムはおかしいが、もしかしたらそれを生み出す私たちの社会もおかしいのではないか」との想像にたどり着かざるを得ない。
けれど、それは私たちにとってまさに「不都合な真実」だ。自らに加害性の一端がある事を想像しなくてはならず、悲劇を繰り返したくなければ、単に実行した人々を厳罰に処すだけでは解決しない。私たち自身が、私たち自身の社会を見直すことが求められる。それは現状の否定であり、つまりは私たち自身の反省を促すものだ。
目の前には紛れも無い悲劇がある。無かったことには出来ない。だが、その現況について自身を振り返るのは、あまりにも面倒で苦痛だ。
では、悲劇が起こった事を認めつつ、しかし自分を責めないために出来ることはなにか。
「うちらとは関係ない人が勝手にやった事」にしておくのが、一番都合が良い。自分たちの社会とは分断された別世界の、まったく共感不可能な人々が、まったく共感不可能な価値観・ロジックの元に罪を犯した事にしておけば、私たち自身はなんら反省することなく生きていける。
オウム事件に対して多くのメディアと市民は、意図的にであれ無意識にであれ、その道を選択した。

環境問題の話に戻ろう。環境問題は、いわゆる凶悪犯罪よりもかなり明確に、「私たち自身の加害性」を認めざるを得ない分野だ。私たちが今行っている経済のあり方や、生活様式や、考え方、価値観が根本的に見直されない限り、解決の道はないだろう。
それはとても面倒で苦痛なことだ。エコバックを買うくらいはいいとしても、それ以上はちょっとねって話である。
しかし、ことは科学だ。「有害である」「危険である」と100%証明することはほとんど不可能に近い。つまり場合によっては「無い事」に出来てしまう分野なのである。
そこで私たちに「救い」をもたらしてくれるのが懐疑本だ。
「ダイオキシンなんて怖くない」「温暖化なんて起こらない」「リサイクルなんてしなくて良い」との、科学の権威をまとった主張の数々は、私たちの現在をすべて肯定してくれる。今のまま消費しまくって適当にゴミを捨てて良いですよ、と言ってくれる。嬉しい。そして楽だ。だから売れる。

懐疑本を支持する人の多くは「環境問題は狂信的な科学者が捏造してるだけで、本当は怖くない」と言う。「実は環境問題なんて起こっていない、という事こそが多くの科学者にとって”不都合な真実”なのだ」と言う。だから環境問題は、実は起こっていないのに、科学者が自分の利益や名誉のために作り上げているのだと。
確かにそういう事も起こり得るだろう。
けれど、では私たち自身にとって、「不都合な真実」は一体どちらだろうか。
私たち自身が反省せざるを得ない「深刻な環境問題」という真実なのか、私たち自身を肯定してくれる「懐疑論」なのか。答えは言うまでも無い。
自分にとって好都合な可能性は、私たちを「安心」させてくれる。しかし一方で、自分にとって不都合な可能性を見つめる事によってしか、私たちの「安全」はやって来ないのではないか。

<関連>
ビデオニュース「ダイオキシン問題は終わっていない」
映画「不都合な真実」
懐疑論に反論記事が出た
地球温暖化への懐疑論に関する考察


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 4

六月

こんにちは、初めてコメントさせていただきます。
光市裁判官関係の記事で色々なところを飛んで、こちらにたどり着きました。

この環境問題なんてウソ、の様な本がでると、私もどこにどう根拠を置いていいものやら右往左往してしまうのですが、sasakichさんの仰る最後の

>自分にとって好都合な可能性は、私たちを「安心」させてくれる。しかし一方で、自分にとって不都合な可能性を見つめる事によってしか、私たちの「安全」はやって来ないのではないか。

に、ああ、そうだよな、と深く同意します。
ありがとうございます。

他のエントリーもゆっくり読みたいと思います。
by 六月 (2007-09-27 17:44) 

六月

裁判官関係ではなく裁判関係でした。
訂正します。
by 六月 (2007-09-27 18:06) 

sasakich

六月さん

来訪&コメントありがとうございます。
この「自分にとって不都合な真実と向き合えるか」は、環境だけでなく、いろんな問題に絡んで来るだろうと思っています。今はあまりにも「世論にとって気持ちのいい情報」が多すぎるというか。

また是非いらしてください!
by sasakich (2007-09-30 16:28) 

mak

初めまして。遅レスですが失礼します。

武田さんは3R(リデュース、リユース、リサイクル)の内のリデュース、リユースだけやりなさい。リサイクルだけは逆に多くのエネルギーを消費するので止めなさい、と言っているにすぎないと思いますよ。
ペットボトルで例えるなら、なるべくペットボトルジュースを買わず(リデュース)、どうしても購入したいのなら飲後、家で洗って汚れるまで何度も使って(リユース)、もう駄目だと思ったら捨てて燃やしなさい(リサイクルするな)ということです。

海水面の上昇については温暖化による融氷が原因ではなく、陸地と海の膨張率の差が大きいのが原因と言っているにすぎません。

ダイオキシンについては昔マスコミが騒いでいたような猛毒ではないということをおっしゃっているだけです。(お米も醤油も大量に食べれば毒になる)

なんか本のタイトルや宣伝文句が過激なのでゴアを支持する環境主義者からはどんどんゴミを使って捨ててしまえ。と勘違いされているような気がします。
要するにきちんと分かっている真実を報道して正しく環境問題に取り組みましょうねと言っているにすぎないと思います。
by mak (2007-11-07 21:17) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。