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自殺予防としての「連携」と「敏感」 [自殺]

引越しでメディア環境のない中でも、9月11日は自殺関係の記事が出ると思って図書館まで毎日新聞を読みに行った。9月10日は「世界自殺防止の日」でフォーラムなど何かしらのイベントがあると思ったし、毎日新聞は玉木達也記者が自殺問題について力を入れているからだ。
光市事件について書いていたら、この話題を取り上げるのが遅くなってしまった。

PNO法人 自殺対策支援センターライフリンクと東京大学大学院経済学研究科の合同チームが行った「自殺実態1000人調査」中間報告についての記事。
◆自殺した経営者、事前相談は3分の1 NPOと東大調査(2007年9月11日 朝日新聞)
◆自殺対策:「複数要因」7割 窓口の連携重要…NPO調査(2007年9月11日 毎日新聞)
◆「世界自殺予防デー」でNPO法人がフォーラム…連携訴え(2007年9月10日 読売新聞)

調査内容がかなり多岐にわたるためか、同じ調査についての記事でありながら、それぞれ注目点の違う内容になっている。なにしろ質問数が2143もあるようなので、無理もない。
いずれの記事も最終的には、自殺の要因が単一(一つだけの理由)ではない場合が多かったことを紹介し、各相談機関の連携が必要であることを指摘している。

これを見て思い出したのは、昨年の「いじめ自殺」報道だ。2000年に出された「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」というWHOの勧告では「自殺の理由を単純化して報道しない」よう勧告されている。
しかし実際には「いじめられたから自殺した」にとどまらず「前日に服を脱がされたから自殺した」「教師に暴言を吐かれて自殺した」など、一つの出来事のみが自殺の要因・きっかけであるという、かなり断定的な報道も目立った。また責任についても、いじめた奴が、親が、教師が、教育委員会が、悪い!といった単純なバッシングに終始した。
もちろん、過酷ないじめにあって自殺に繋がることはあり得るし、上記のような人々に一定の責任はあるだろう。しかし、こうした報道から「じゃあ、どうすれば死ななかったか」は少しでも見えてくるだろうか。「いじめられっ子よ、強くなれ!」と言ってみたところで効果はない。
今回の調査結果に「いじめ自殺」のケースが含まれているかは不明だが、いじめが自殺要因の一つであっても、その他の要素が無かったのか、どれをどうやってどの程度取り除くことが可能で、どうすれば命を繋ぎとめられるのかを検証する必要がある。
いじめを生み出しやすい教育構造が背景に無いか、いじめが不可避だとしても死ぬ前に周囲が気づく手段は無いか、といったことが考察されなければ、「いじめ自殺」は減っていかない。

今回の調査は、自殺の原因究明と、そこから見えてくる打開策を模索するものである。そのとりあえずの答えの一つが、前著した「相談機関の連携」だ。
問題に気づいている機関や人がいても、そこで情報が止まってしまい、結局は死に至るケースも少なくないことが分かってきた。例えば、うつ病だと診断され、医師から職場での対処が必要だと言われても、それが会社に伝わっていなかったケースなどだ。
人は普通、自分の知人が自殺するとは予想しない。例え知人に死をほのめかされたにしろ、だからって本当に死ぬことはないだろうと、なんとなく思っているものだ。内閣府の調査でも「自殺を口にする人は、本当は自殺しない」と誤解している人が50%を占めている。自殺のサインが出ていたり、現に「死にたい」といった言葉が出てきても見逃されるケースが多いのは、こうした誤解というか「死なないだろうという安心感」によるところも大きいのではないか。
だからこそ、各種の相談窓口や個々人が、死に対して敏感になり、例え気苦労に終わったとしても、具体的なアクションをとることが重要であると感じる。なにしろ、現に毎年3万人は、自殺によって命を落としているのだから。

【お知らせ】
当エントリーで取り上げた実態調査についての番組。
NHK「福祉ネットワーク ~自殺 1000人の声なき声から~」
本放送:2007/09/19(水)20:00~20:29
再放送:2007/09/26(水)13:20~13:49

<関連>
「いじめ自殺」の報道について改善を求めます


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裁判における弁護人×検察官×裁判官の役割 [司法]

今日は以前書いたエントリー「藤井誠二×安田好弘×メディアに見る、出会いの問題」への、反省である。
日々あげていくエントリーは、もちろん私なりに考えた結果ではあるが、それが不変でもすべてでもない。だから、ミートホープ問題安部叩きについてそうしたように、エントリーに間違いがあったと思えば普通に反省したいし、出来るだけそれを反映したエントリーもあげて行きたい。

前著のエントリーは光市事件を扱っているため、そこそこアクセスを頂き、私としても気に入っている文章の一つではある。
被害者(遺族)にも弁護人にも、それぞれ異なる正当性があり異なる悲惨さがある、という認識は今も変わらないし、「私たちは「両者の板ばさみになる」過程を経てようやく、第三者として、そこそこ正しい意見や判断をもつことが出来るのではないか。」との見解は今も変わらない。また、本来であればその媒介をなすべきメディアが、この事件に関してはまったく役割を果たしていない、との認識も変わらない。
反省しているのは、エントリー半ばにあるこの部分だ。
刑事事件の弁護士は、その職業的な立場から、加害者を憎んでいる被害者やその遺族と深く関わることは、ほとんど無い。一方で加害者とされる被告とは、これも職業的な立場から、これ以上ないほど深いかかわりを日々持つことになる。

なぜこの記述について反省しているのか、まずは下記リンク先の文章をお読み頂きたい。光市事件で弁護人を勤める今枝弁護士の言葉だ。
◆今枝弁護士の話ーその7◆
ここには、犯罪被害者(遺族)の悲惨さを目の当たりにして「不覚ながら涙を流したことは数えきれません」との体験と、「同じような被害に遭って果たして加害者の死刑を求めないだろうか」との弁護人としての葛藤と、それでも弁護士の職責を全うするのだという決意が溢れている。
つまりこれを読んで私が反省したのは、刑事弁護人がいかに悲劇の山積する中で行う「やるせない業務」であるかを、実に甘く見ていた点だ。
今枝弁護士は元検察官なので、そのためもあって特に(他の刑事弁護士よりも)被害者と密接に関わっている部分はあるのかも知れない。しかし、いずれにせよ、刑事事件の弁護人の業務は、私がイメージしていたような「加害者を憎んでいる被害者やその遺族と深く関わることは、ほとんど無い」ものなどではないのだろう。
だが、その山積する悲劇と苦しみの中で、尚も加害者(とされる被告人)の権利を最大限守ることが弁護士の職責である。
一つの殺人事件が、その瞬間だけではなく後々まで、被害者はおろか裁判に関わる多くの司法関係者までをも葛藤と苦悩に巻き込んでいく。殺人がどれだけの悲劇の連鎖と大量の悲惨さをもたらすのか、改めて突きつけられた思いだ。
上記の今枝弁護士のコメントを読んだとき、私は自分の想像力の貧困さと認識の甘さを痛感し、恥ずかしくなった。人が殺されるということの「悲惨さ加減」について、私はまったく鈍感だったと思う。

さて一方で、今回それとは別に考えさせられたのは以下の部分である。

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しかし、対立当事者間の主張・立証を戦わせて裁判官が判断する当事者主義訴訟構造の中での刑事弁護人の役割は、被告人の利益を擁護することが絶対の最優先です。
---------------------------------------------------------------
被害者・ご遺族の立場を代弁し、擁護するのは検察官の役割とされています。それが当事者主義の枠組みです。
---------------------------------------------------------------

当事者主義の裁判においては、検察官が徹底して「被告人はこのような罪を犯しており、それ故に求刑したような処罰が適切」を証明し(=立証責任)、弁護人は徹底して被告人の立場から権利を守り、両者の主張を受けて裁判官が中立的に判断する。法曹三者がそれぞれ異なる立場から主張・証明し判断することで、正当な判決を下せる(ことになっている)仕組みである。
だから、被害者が傷つくとしても弁護人は被告人の立場に立たなければならないし、検察は充分に被告人と弁護人を追い詰めなければならないし、それを受けて裁判官は予断無く冷静な判断をしなくてはならない。どれが崩れても、マトモな裁判にならないわけだ。

今枝弁護士は「被害者・ご遺族の立場を代弁し、擁護するのは検察官の役割」と仰っているが、実際にはこれは条件付だと思う。"被害者が検察と同じ求刑を望む場合は"検察が被害者と同じ要求を主張することになるので、結果的に被害者の要求を代弁することになる。
今回のように被害者の要求と検察の求刑が一致している(いずれも死刑)とき、まさに検察は被害者遺族の代弁者かも知れない。少なくとも、裁判において被害者の代弁をなしえる立場があるとすれば、それは検察官以外にはありえない。
であるなら、被害者の要求=検察の求刑が裁判に反映されないと憤るとき、検察側への批判が出てきても不思議ではない。実際、ルーシーブラックマンさん殺害事件で無罪判決が出た際、遺族は「検察側の失敗」とコメントし、検察側が立証責任を果たせなかったことについて批判した。
念のため補足するが、なにも「遺族がそういう発想をすべきだ」と言っているわけじゃない。そのような視座もあり得る、ということだ。
検察側が職責(立証責任)を果たしていないために被害者の望む量刑が得られないなら、その責任は当然、検察側にある。もし検察が充分な立証を行うための材料が不足しているとすれば、その責任は捜査段階の警察にもかかってくる。
だが、メディア報道でも「世間」の議論でも、この裁判の不当性について語られるとき、検察側の姿勢が話題に上ることは、まず無い。


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光市事件 情報発信の動き [光市事件]

光市事件:「報道を検証する会」がテレビ局に申し入れ
毎日新聞(2007年9月13日)
学者やジャーナリストでつくる「『光市事件』報道を検証する会」は13日、山口県光市の母子殺害事件を番組で取り上げたNHKや読売テレビなど在京と在阪の計6局に対し「被告の元少年に批判的な立場からの看過できない一方的な決め付けがある」と見解を尋ねる申し入れを行った、と発表した。
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この「『光市事件』報道を検証する会」がどういう団体なのか知りたくて検索したけど、まったく出てこない。どなたか情報をお持ちなら教えてください。

一方、光市事件の弁護団の一員で、橋下弁護士への提訴に踏み切った一人でもある今枝弁護士が動き始めた。
当初は、事件とは無関係の弁護士が個人的に運営しているブログで、コメント欄からの発言だった。
光市母子殺害事件の弁護団の一人、橋下弁護士を提訴した原告の一人、今枝仁弁護士の話(総まとめ)
そして14日、今枝弁護士自信がブログを立ち上げた。
弁護士・人間・今枝仁
これまでも弁護団は公判の度に記者会見を行い、時には文書によって主張を発信してもいるが、メディアの網を通って出てくると、弁護側の意図に反したメッセージに摩り替わっていることがほとんどだった。その情況は今もさほど変わっていない。
最終的な量刑判断や事実認定がどうなるかはともかく、メディアのフィルターを通さずに弁護人自信が情報発信を始めたことの意義は大きい。

それにしても、あの裁判を手がけつつ、たぶん生活のためには他の仕事もしているはずで、それと並行してブログ運営。しかもコメント・トラックバックとも制限せず、炎上覚悟ですべてのコメントを読み、返信も出来る限りすべてに対してするつもりのようだけど、そんな負荷の大きいことをやって大丈夫なのか。
今の司法の元で、刑事弁護士の荷は重くなるばかりに見える。
弁護人が情報公開をすることには限度があるし、本来なら裁判に没頭すべきで、世間やメディアへの説明なんて不要だとの声もある。そんな労力があるなら本来の裁判に全力を注ぐべきだし、また守秘義務等の観点からも、世間に情報発信することが被告人の不利益に繋がりかねないとの批判もあるようだ。
私もある意味では、そう思う。
しかし、裁判員制度が導入されようとしている今、注目されるような事件を手がけてしまった以上は、(それが正しいかはともかく)弁護人が一定程度は世間の理解を得られるような情報発信をし、メディア戦略を持たなければ、被告人の不利益に繋がりかねない。
いや、裁判員制度の導入がなくても、職業裁判官の判決ですらメディアや「世論」に大きな影響を受けている今、既にその事態はやって来ているのではないか。

橋下弁護士の主張するような「説明義務」に法的な根拠は無いし、そうした「説明」を怠ったとしても(今回は怠っていないわけだが)、それが弁護士としての倫理に反すると私は思わない。
だが現実問題として、説明ベタな弁護人では被告人の権利を守りきれない時代になっているのではないか。メディアの情報を鵜呑みにする人が少なからずおり、司法が(偏った報道に影響された)「民意」に大きく左右されるなら、メディア対策は被告人の権利を守るために必要な戦略の一つなのかもしれない。

【追記】2007/09/16 22:45
Because It's Thereさんで紹介されていた記事が興味深かったので孫引き。

----------朝日新聞平成19年9月11日付朝刊33面「Media Times」 より抜粋----------

弁護団も「対策」を講じ始めた。
8月6日、大阪市で開いた弁護団の緊急報告集会では、法医鑑定書や精神鑑定書など普段は公開されない資料を140ページにまとめた資料を配布。弁護士が対象だったが、180人が集まった。
「弁護士バッシングはオウムや和歌山カレー事件など過去にもあったが、マスコミを通じた扇動や懲戒請求ど、今回はこれまでとは様相を異にしている」。弁護団側は冒頭でまずそう訴えた。

東京でも、一般市民が参加できる説明会を開く計画を立てている。裁判の最中に、刑事弁護人が手の内を明かしながら国民に理解を求める集会を開くのは極めて異例だ。

主任弁護人の安田好弘弁護士は、「方針転換」の理由をこう説明する。
 「弁護士の役割は法廷で真実を追求し、社会に還元すること。場外乱闘はせず、法廷に集中するためにマスコミは無視するのが理想。だが、『石を投げよ』とまで言われて、そうはいかなくなった。裁判員制度を前にこのままではまずい、という危機感もある」

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あの(Wikipediaで「マスメディア嫌いで有名」の記述がある)安田弁護士ですら、世間やマスコミへの説明が必要だと感じているのだから、やっぱ背に腹は変えられないってことなのでしょう。
被告人の権利を守るためのメディア対策、という視点で前述しましたが、個別の裁判のみならず、このままでは刑事弁護自体が成り立たない(刑事弁護人の萎縮など)可能性があるし、そうなると司法制度そのものがアレになるわけです。
この裁判に関わっていない多くの弁護士が、弁護士バッシングや懲戒請求について疑問を呈しているのは、単に「同業者だからかばっている」とか「思想的に近いから擁護してる」とか、そういうレベルの話ではない。
このままじゃ、刑事弁護人(とそのサービスを受ける国民)も、司法制度そのもの(と司法によって裁かれる可能性のある国民)もヤベーよって危機感の現われなのだと思います。
説明の「義務」はないけど「必要」は出てきてしまった、というところでしょうか。

ベキ論としては「メディアや世論といった予断が判決に影響してはならない」訳ですが、現状ではまったくもって徹底されていませんし、裁判員制度が始まったらそりゃもーアンタって話ですから。


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「理解不能な凶悪犯」が行き着く先 [死刑制度]

ドキュメンタリー映画監督である土本典明は、長年に渡って水俣病の問題を追い続けてきた。その作品の中に、こんなシーンがある。
水俣病被害者の代表であった川俣輝夫が、加害者であるチッソの社長(当時)に救済措置を約束させるため、長時間かけて説得する場面だ。川俣は重役たちの並ぶ机の上に座り込み、社長に向かって正面から問いかける。
「あんた趣味は何ですか? (読書との回答に対して)そうやって本を読んで感動したり、そういうことと、今私たちの苦しさは何も繋がらんとですか? 関係なかとですか?」
このシーンを見て、私は不思議な気持ちになった。感動、というのとは少し違う。なんだか妙に郷愁めいた感情が私の中でうずまいた。「いつの間に、こんなに遠くへ来たんだろう」。そんな言葉が思い浮かぶ。
前著の問いは、被害者である川俣さんから加害者であるチッソ社長への「あんたも人間だろう、人間なら俺たちの苦しみが分かるだろう」との痛切で悲痛な問いかけである。社長としてのアナタではなく、役職としてのアナタではなく、読書を趣味としている人間であるあなたへの、心の奥深くへ問いかける言葉である。
それがとても衝撃的なのは、こんな被害者と加害者の関係が今はありえないと思うからだ。
先日、初公判のあった秋田連続児童殺害事件の裁判でも、検察側は初回の審理から遺族感情を持ち出し、「遺族は(同種の)犯罪抑止のために死刑を望んでいる」ことが紹介された。死刑存置による犯罪抑止能力は証明されていないし、そんなことは検察だって知っているはずだが、それでも、被害者感情を理由として出すことが、確実に「厳罰を求めるための有効な戦術」になってきている。

加害者も人間である、との想像力が失われて久しい。
凶悪犯罪や重大な企業不祥事を前にしたとき、当事者も傍観者も「同じ人間なのに、何故」ではなく「こんな酷いことをした奴は、人間ではない」と考えるようになった。
もちろん、被害者自信に加害者への想像力を持てなどとは言わないし、言えない。そんなことは他人が口出しすべきことではない。
けれど、例えば金日成や麻原に対して「あなたも人間なら、家族を奪われた悲しみが分かるでしょう」とは、被害者はもちろん世間の誰一人として、問いかけなかった。彼らの暮らしぶりや趣味趣向がいかに報道されようとも、そこに人間性の発見など微塵もない。何故なら、だれも彼らに人間性など期待しないからだ。彼を人間だなどと思いたくないからだ。
薬害エイズの時には、まだ「人間であり医師でもあるあなたが、何故こんなことをしたのか」という問いが成立したように思う。
それからわずか数年、おそらくはオウム以降でこの問いは無効になった。私たちには理解しがたい動機から、想像もつかないような凶悪犯罪が生まれたとき、「同じ人間なのに」との前提はもろくも崩れ落ちた。「奴らは人間じゃないんだから、理解なんてできないし、しなくていい」と、いつの間にか、ものすごい速度でそういうことになって行った。
そして更に数年後、少年Aの事件を皮切りに、こどもまでもが「理解不能な殺人鬼」として認識されるようになった。

人間ではない存在に、更正の道はない。なにしろ人間ではないのだから。
じゃあ、どうするか?
永久的な悪とされた存在に「殺せ」の言葉が出てくるのは当然のことだ。そして、これまでに無い頻度で死刑判決が出ようとも、死刑が執行され続けようとも、それに異を唱える者は減り、むしろそうした「断固決然」たる態度が歓迎される。
人の命を大事にしなかった奴の命は大事じゃない、との認識が大勢を占め、殺せ吊るせを叫ぶ人々が急激に増加した。今や、多くの殺人事件において、かつては予想し得なかったほど安易に「死刑」のニ文字が登場する。
社会が複雑化し、生活形態や考えが多様化する中、私たちの周囲に「理解できない人」は増える一方だ。そうした人々が罪を犯したとき、そこに更正の余地などあるのかと疑問に思うのも無理はない。そして、その疑問が誤りであるとの確信もまた、私には無い。
しかし忘れてはならないのは、私たちもまた、別の誰かからすれば充分に「理解できない人」になり得ることだ。理解できないからと言ってあらゆる可能性を模索せず、とにかく殺すしかないと決断していくなら、その決断はいつか自分にも襲い掛かってくるだろう。


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かつての冤罪事件 [司法]

ネット環境が整うまで、テレビも新聞もない環境で大変にヒマだったので、未読の本を読んだ。
「人権を守って」がそれである。著者は私の祖父だが、別に作家やジャーナリストだったわけではない。なんていうか、よくある自費出版の自分史的なアレだ。とてもストレートな書名で、店頭にあれば突っ込まれること間違いなし。
私の祖父は、その生涯を冤罪事件や薬害(スモン病)裁判の救援活動に捧げたカツドーカであった。おかげで収益を得るような仕事は一切せず、祖母が自営業を切り盛りして生計を立てており、今でも祖母は祖父に対して複雑な思いがあるようだ。人権活動はもちろん立派だが、家族にしてみれば良い迷惑であったりもする。
しかし一方で、法律なんてサッパリで、死刑について考えたこともなかった私が、今こうして司法についてあれこれとエントリーを書き、死刑廃止論者になったことを思うと、そこには祖父のDNAを感じざるを得ない。

本書は祖父が亡くなる間際、自信の活動を振り返り、支援してきた冤罪事件を記録したものである。祖父はその生涯を島根で暮らしたため、取り上げられているのはいずれも島根県内で起きた冤罪事件だ。江津事件、石見幼女殺人事件、仁保事件について取り上げている。
とにかく驚くのは、よくもまぁこれで逮捕したな、というほどの警察・検察の荒唐無稽ぶりだ。もちろん、冤罪事件の救援活動を行っていた祖父の立場から書かれているから、その視点は中立的ではないし、相手にしてみれば反論したい部分も多々あるのだろうとは思う。
だが、例えば仁保事件での「拷問」としか表現しようの無い取調べの数々には言葉を失う。
机を叩く、恫喝するのは当たり前。なにかに付けて殴る蹴る、時には投げ飛ばす、下半身の感覚がなくなるまで被疑者を正座させ、尿意も感じ取れなくなって失禁するとまた殴る。食事もロクに与えず、差し入れも面会も禁止し、寝る間もないほどの日程で取調べを行う。更にこの間、弁護士もついていないなどなど、驚くべき情況が列挙されている。
特に衝撃的なのは、冬の夜間、外に連れ出して背中から冷水を浴びせ、うちわで扇ぐ、という通称「バサバサ」が何時間も行われたという話だ。二時間もすると被疑者は気を失ってしまう。
当然ながら被疑者は心身ともにボロボロになり、取調べ中に気を失ったり、耳が聞こえにくくなったり、幻聴まで聞こえる状態になって行く。
こうまで強引な取調べになったのは物証がなかったからで、つまり自白を引き出すことだけが、彼を有罪にしえる要素だった。結局、被疑者の男性は「一言、殺したと言えば(死刑になって)人生が終わる。しかし、言わなければこのまま殺される」との葛藤の中、ほとんど正常な判断も出来ない状態のまま、実際にはやっていない殺人を認める供述をしてしまう。
公判では無罪を主張したものの認められず、一審・二審ともに死刑判決。その後に支援の動きが広がり、広島高裁への差し戻し審で無罪を勝ち取っている。事件から18年後のことだった。

これほどまでの取調べが、今も行われているとは到底思わない。40年前の出来事だ。
しかし、一審・二審で死刑判決が下りながら、差し戻し審で無罪の判決が出たことを考えると、その取調べの過酷さとは別に、まだ司法にとって良い時代だったんだなと感じてしまう。
この事件は、一家6人全員が殺害された極めて残虐なものだ。本書に掲載された現場写真を見ても、その悲惨さには目を覆いたくなる。今の時点で同じ事件が起きたなら、間違いなくメディアで大きく取り上げられ、被疑者は早々に極悪人のレッテルを張られるだろう。無実の主張も、多くの人は「卑怯な言い逃れ」としか取らないのではないか。
まして、事件発生から二審の死刑判決までに12年が経過しており、それだけ時間がたてば、事件に対する世間の認識は動かしがたいほど固定化するに違いない。その状態で、いかに事実認定に無理があろうとも、今の裁判所が無罪判決を出すことは出来るだろうか。私にはほとんど不可能に近いとしか思えない。
いや、この事件は家族全員が殺害されて「被害者遺族」がいないから、それほど盛り上がらないのかも知れない。だとしたら、それはそれで重大な問題である。

<関連>
江津事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage349.htm
http://yabusaka.moo.jp/goutu.htm

仁保事件
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage200.htm
http://yabusaka.moo.jp/niho.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E4%BF%9D%E4%BA%8B%E4%BB%B6

<関連>
富山冤罪事件
冤罪について


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訃報、そしてクロ現 [事件、ニュース]

ようやくネット環境が復活しました。また細々と更新していきたいと思います。
とはいえ、9月4日以降はネットもテレビも新聞もない生活で、かなり「情報デトックス」したので、世間のことがほとんど分かっていません。知っていることといえば、私が昼寝している間に首相が辞任表明したことくらいです。
その他、光市事件の弁護団に対する懲戒請求問題で動きがあったり高校生を殴った警官に激励が寄せられたり、朝青龍の話題を未だにテレビでやっていたり、いろいろ忙しいようですがまだ把握できていません。同じ日本で生きているのに、メディアが無いとこうも気苦労や怒りが減るものかと実感した10日弱です。

この間、個人的に一番大きなニュースは、ドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんの訃報。もちろん知人でもなんでもないが、なんていうか、こういう人がこういう亡くなり方をしてしまうことに、私たちの暮らす「世界」の問題が集約されている気がしてならない。
私が生きるために上京したその日、佐藤さんはビルから飛び降りて亡くなった。それが「現代」で、だからこそ私はここに来たのだと、改めて決意というか確信というか。
劇作家の宮沢章夫さんの日記(9/5~6)がとても印象的だった。

先日、冤罪と死刑の問題を扱ったばかりのクロ現(クローズアップ現代)が、9月4日には累犯障害者問題を扱っていたのだと今日になって知る。見逃してしまったけど、ここで視聴可能。
がんばってるな、クロ現。私も頑張りたい。


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復帰は14日頃・・・です、たぶん [雑記]

休止中にもかかわらず、来訪&コメントくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
新居のネット開通予定が9月13日になりましたので、その辺りで復帰すると思います。

もしお待ちくださっている方がいらっしゃれば、もう少々お時間ください。
(新居近くのネカフェより)


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しばらくブログ休止 [雑記]

ご来訪いただいた皆さん、ありがとうございます。
引越しのため、今日中にPCを梱包してしまわなければいけません。
というわけで、しばらくブログをお休みします。

向こうのネット環境がよく分からないのですが、たぶんそこまで間をあけずに復帰できる・・・ハズ。
とりあえず今週はお休みします。
コメントなど頂いた場合は、復帰後に返信させて頂きます。

じゃ、そういうことで!


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6~8月 話題その後 [事件、ニュース]

ブログ開設時から今日まで、6月~8月に取り上げた話題の「その後」について特集します。
「特集」って、なんか偉そうですか、そうですね。

◆裁判員制度
裁判員候補への通知も民間委託=電話業務と合わせ4億円-最高裁・概算要求
選任手続き初のシミュレーション 大津で裁判員制度の模擬裁判
裁判員制度:定着狙い、中高校に講師派遣へ 高松地裁、高松地検、県弁護士会 /香川
裁判員選任「格差」6倍 大阪2560人、金沢1万4800人に1人
などなど、日を追うごとに問題点も露呈する中、実施に向けて着々と準備が進んでいる。
辞退方法については、私の知る限りの情報をそのうち提供したい。辞退することの是非も含めて。

◆NOVA
提訴:「NOVA」元社員の両親、「自殺は過労が原因」労災認定求める /東京
NOVAに授業料返還命じる 大津簡裁
顧客に不誠実な会社は、下っ端社員にも不誠実だという話。

◆コムスン
<コムスン>施設系サービス、210億円でニチイに売却
介護現場を顧みない渡辺美樹・ワタミ社長
コムスン:2事業所が虚偽申請、不正報酬1億1300万円 /山口
「介護報酬1億4千万、コムスンは返還を」兵庫県が指導
売却先が決定する一方、各地で不正受給していた介護報酬の返還を求められている。
売却について、一時期はワタミの社長がメディアで持ち上げられつつあったが、結局あいつじゃダメって話になった様子。

◆グッドウィル
<グッドウィル>債務超過寸前に 6月期連結決算
グッドウィル・グループが業績予想を下方修正 赤字407億円に拡大
グッドウィル 労組員が返還訴訟「装備費」天引き問題で
グッドウィルの日雇い、違法な二重派遣で作業か
適法なやり方に修正したら大赤字。過払い金を払い戻した金融会社と同じ状態になっている。
だから、やっぱ元から合法的にやってたら成り立たない商売なんじゃないのか、これは。

◆自殺対策
自殺者:県内、昨年1510人に 3分の1以上が60歳代 /愛知
若者自殺、22人と倍増
年代別の自殺率について、全国平均を見ても高齢者と若者の自殺は特に目立つが、地域によっても偏りがあるわけで。過疎化の進んでいるような地域は高齢者の人口比自体が高いのだし、その辺も考慮すると、どのような地域が主にだれを支援すべきか、という地方ごとの課題もハッキリするのかもしれない。
自殺防止でモデル自治体 成果集約し全国で共有へ
秋田市:自殺予防対策費を計上 /秋田
リメンバー福岡:発足3年 “自死”遺族の思い分かって--来月2日、討論会 /福岡
多重債務者:平日夜間、休日も救済します! 大阪弁護士会、相談時間を拡充 /大阪
国からも地方からも、自殺予防・自死遺族支援の動き。
秋田は長年に渡って自殺率が全国一で、そのため自殺対策も進んでいるという皮肉な土地。秋田から学ぶべきことはたくさんあるはずだ。

◆島根PFI刑務所
シリーズ「島根あさひ社会復帰促進センター」
↑は刑務所を誘致した浜田市のPRページ。とりあえず、実際は刑務所なのに「社会復帰促進センター」なんて命名にごまかしの意図を感じる。
刑務所の出来る場所は、実は当初、工業団地になる予定だった。しかし、広大な土地を整備したにも拘らず1社しか名乗りを上げず、これじゃ大赤字だってことで刑務所誘致に乗り出した。こうした誘致に当たって「経済効果」がいつも歌われるが、そもそもなんで赤字になったのかを反省するほうが先じゃないのか。

◆罪を犯した人々の自殺
巡査長、女性を射殺して自殺 警視庁立川署
ブログで「罪を犯して、自殺する人々」を取り上げて以降、メディアで大きく報道されるような事件での自殺が目に付く。「目に付く」だけで、別に増えてはいないのかも知れないが。
島根県では交通事故を起こした男性が、消防署に通報し、現場の交通整理も行った上で、行方が分からなくなり自殺した。事故は小さなものではなかったが、死者が出るほどの大事故でもなかった。ひき逃げどころか現場の後始末まできちんとやろうとした(ゆえに減刑の可能性もある)男性が、なぜ死を選ばざるを得ないほど追い込まれてしまったのか。考えることは多い。

◆貧困
<生活保護打ち切り>弁護士らが福祉事務所長告発 北九州
「格差是正」「増税路線」…安倍丸、そろり転針!?
地方交付税4.2%減=格差拡大も-総務省08年度要求
北九州の餓死問題はついに刑事告発。これを機会に、北九州市はもちろん、全国的に生活保護製作が見直されることを願う。
内閣改造に伴い、安部政権は民主党に負けじと「格差是正」を掲げているが、一方で増税も検討しており、なんかよく分かりません。経済は成長してるから、それを実感してもらうだけで良いって話じゃなかったのか?

◆民主党
不倫報道「事実無根」…姫井議員サイドが反論
秘書の選挙違反関与を否定
さくらパパ激怒!新潮社訴えた…元愛人に「恐喝されていた」
などなど、議員の不祥事・スキャンダルが続発。
まぁ、時期的に叩かれるのは仕方ない。でも不倫はほっといてやれよ。
テロ特措法延長に反対54・6% 民主、自信深める
前原氏が副代表就任へ、政調会長は参院・直嶋氏…民主
前原議員については「副代表にしてやるから、テロ特措法のことは黙っとけ」という扱いにも見える今日この頃。民主党としては正念場なので、足並みをそろえることが重要ですからね。

◆死刑
インタビュー 鳩山邦夫 新法務大臣
鳩山邦夫が新法務大臣に就任。テレビ局のインタビューに対して「死刑執行は安全な世の中をつくるための第一歩」と発言。そうだったのか。死刑の犯罪抑止力って実証されてましたっけ?
環境問題に力を入れ、犬と蝶を愛する議員が死刑推奨ってのは、私の中では整合性がなくてよく理解できない。まぁ、「民意を反映」ってことでしょうか。

◆冤罪
<富山冤罪再審>地検が無罪論告し結審 判決は10月10日
冤罪・無罪、数々の問題点 最高検が公表
などなど、冤罪事件が救済され、問題点の検証が進む雰囲気もある中で、一方では
御殿場の婦女暴行未遂:控訴審判決、4被告に実刑 冤罪の主張、再び退ける /静岡
御殿場事件・判決の矛盾
混迷の責任

◆中国製品
玩具のリコール制を実施へ、信頼回復に積極策―中国
食品の次は玩具。鉛については、乳幼児が玩具をなめて体内に摂取してしまうことが問題で、もちろんそれは悪いんだけど、大きくなれば(玩具をなめなくなって)摂取の恐れがなくなるので、結局は淘汰されるとの説もある。生涯にわたって食品添加物や農薬を摂取し続けることを考えれば、一体どっちがどれだけ高リスクなのか。
いずれにしろ、食糧自給率も低くてありとあらゆる輸入品に頼らざるを得ない情況なんだから、「危険なもん送ってるくんな!」と怒ると同時に、どうすべきかを指南する必要もあるんじゃないのか。

◆韓国人アフガン人質事件
恐怖で人質全員パニック…40日の監禁生活語る
<人質解放>カナダ政府とメディアが直接交渉を批判
当初の予想よりかなり長期化し、2名が亡くなっての解決。
タリバン側に金を渡したとか渡さなかったとかで、交渉方法への非難も出ている。微妙な問題。

◆新潟県中越地震
東海地震想定し対応確認=原発の警戒態勢も-政府防災訓練
<震災アンケート>「将来ある」9割、「備え」5割
中越沖地震:被災者対象に宅地分譲3割引き--出雲崎町 /新潟
今日(9月1日)は防災の日だそうです。だからNHKが新潟地震の特集をしてたのか。
NHKスペシャルでは原発問題を取り上げるようです。

◆ペガー・エマンバクシュさん強制送還
ペガーさん強制送還反対
当初危惧されていた28日の強制送還はなくなり、長期化の様相を呈している。
各国で支援の輪が広がっており、今後を更に見守りたい。

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更新頻度が異常なので、3ヶ月で取り上げた話題が多すぎて網羅できません。
朝青龍騒動は、もう「好きにしてください」としか言えないくらいの報道ぶり。見るのも嫌。
この前なんてモンゴルで朝青龍のお兄さんに日本人がインタビューしてて、それ自体もどうかと思うのに、モンゴル語(?)を使う気一切なしで、日本語で延々と質問。で、お兄さんが日本語を出来ないことがわかると「日本語しゃべれないんですか!?」と逆ギレ。あんたさぁ・・・。


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冤罪と死刑 [死刑制度]

8月29日の「クローズアップ現代 無実の"死刑囚"124人の衝撃 ~えん罪に揺れるアメリカ~」で、アメリカの死刑制度について扱っていた。
アメリカは、日本と同じく死刑を存置している数少ない先進国である。1/3近くの州では死刑が廃止され、一部には存置しながら執行を停止している州もあるものの、多くの州では死刑制度が現存している。
しかし今、アメリカの死刑制度がゆれている。死刑が確定した受刑者の無実が、相次いで判明しているからだ。DNA鑑定技術の発達などにより、実に124人もの死刑囚が無実であったことが証明され、2ヶ月に一度の割合で死刑囚の無実が証明される事態になった。このことは死刑を存置している州で大きな議論を呼び、執行停止の判断を下す州も出始めている。
今日はアメリカと日本における「冤罪」を通して、死刑制度について考えたい。

◆物証、自白、証言、状況証拠
アメリカで無実が判明した死刑囚のうち、冤罪になった原因として最も多かったのは目撃証言である。例えば、警察が被害者に複数の写真を見せ、「この中に犯人がいるか?」と質問した場合、被害者はその中に犯人がいるに違いないと推察して、確信がなくても似た人を選択してしまう。
このような聞き取り方自体も問題であるが、結局は裁判で目撃証言が過度に評価されてしまうことが誤った判決に繋がるのではないか。実際には無実である以上、犯人だと証明する物証があるはずも無い。それでも有罪判決、ましてや死刑判決が出る背景には、証言や状況証拠、自白が絶大な権限を持っていることが想像される。
日本でも「自学偏重主義」との言葉がある通り、物証以外の証拠(らしきもの)が判決の決め手になるケースは多い。

◆取調べの可視化
冤罪の原因として次に多かったのは、事実と異なる自白だった。取調べの際に嘘の自白を強要されたり、検察にとって都合の良い部分だけが証拠として提出されていた。
取調べの可視化については日本でも必要性が言われており、現在、一部では録画・録音も始まっている。最近では証拠として取調べの録画映像が提出されたこともあるが、これも検察側が自分の主張を実証するために一部分だけを提出する形となっている。
全工程の録画・録音がなされ、弁護側に有利な録画映像も提出できるようにならなければ、アメリカで表面化したのと同じ問題が起こるだろう。
また裁判員制度の導入に当たり、最高検は「任意性、信用性に問題がある自白調書は、疑問を抱かれたときのダメージが極めて大きく、証拠提出しないという選択もあり得る」との方針を打ち出している。検察がこのような姿勢である限り、例え録画・録音がなされても、検察に都合の良い自白だけが採用される情況は変わらない。

◆証拠品の保存
アメリカでは証拠品の保存が義務付けられており、破った場合は罰則もある。そのため、かなり長期間に渡って物象が保存されている。昨今、多くの無実が証明され始めたのも、残っていた証拠を弁護側が再鑑定した結果によるところが大きい。
一方、日本は証拠品保存の義務がないため、「全量費消」としてまったく物象が残っていないケースが多い。そのため、冤罪を疑われている数々の事件に関しても、弁護側や支援者が証拠品の再鑑定・再検証を出来ない状態にある。
物象がなくとも、情況を再現して検証できるような場合もあるにはある。袴田事件で、逃走経路とされた裏口が、実は検察の主張するような施錠状態では出入りできないことが実証されてもいる。
しかし、血痕や薬品など、物理的に「そのもの」を鑑定する必要がある場合、日本ではその手立てがない。いかにDNA鑑定や化学検査が進化しようとも、モノ自体が残っていないのでは鑑定しようがないからだ。

◆上訴の義務
日本では被告が控訴をしないまま死刑となるケースも多いが、アメリカでは死刑事件は必ず最高裁まで自動的に上訴することになっている。死刑が絶対的な刑罰である以上、充分な審議が必要と考えられているからだ。
本人が控訴しないんだから判決に間違いはない、と思われるかも知れないが、必ずしもそうとは言い切れない。冤罪でもあっても、被告人が裁判に希望を持っていない場合には上訴しても無駄だと考えるだろう。また、冤罪ではないが事実認定に多くの誤りがある場合にも、被告人の反省が深ければ、判決に異を唱えることを罪だと感じて上訴しないことも考えられる。

◆代用監獄、長期拘留
日本では、アメリカには存在しない冤罪を生みやすい制度が現存している。その代表格が、いわゆる「代用監獄」である。逮捕された容疑者段階の人が、刑務所と見分けのつかないような刑事施設に入れられ、長期拘留されることは日本では当たり前の光景だ。
しかし、これは先進国の中では日本特有の制度であり、各国の人権団体や国連などからも、再三にわたって改善を要求されている。
拘束され、警察の都合のいいときにほとんど際限なく取調べできる情況は冤罪に繋がりやすい。先日発表された最高裁の報告書でも、鹿児島県議選での冤罪事件について、最大395日もの拘束に至ったことが冤罪を生んだ要因の一つとして取り上げられている。その他の冤罪事件でも、このような「人質司法」が背景にあるケースは多い。

このような情況を踏まえると、日本は残念ながら、アメリカよりも更に冤罪・誤判の危険性が高い国であると言わざるを得ないだろう。99%という世界にまれに見る有罪率の高さにも、こうした背景があることが予想される。
死刑存置論者であっても、冤罪の人が死刑になるのをよしとする人はいないだろう。それにも拘らず、冤罪の可能性が決して低くはない日本で、取り返しのつかない刑罰である死刑が存置できているのは何故か。
ここにはおそらく、死刑を存置させるための条件について、根源的な考え方の違いがある。アメリカでは「充分な審理が尽くされ、信頼のおける司法の元に限って死刑オッケー」なのであり、つまりは条件つき賛成だ。そのため、今回のように司法への不信感が高まると、死刑制度に対する疑問の声が大きくなってくる。
だが日本では、まず警察・検察や国家には無条件の信頼がある。この国には実質、「推定無罪」は存在しないからだ。そのため、無実かも知れない人が死刑になってしまうことよりも、死刑にすべき(と思える)人を死刑にしないことのほうが、世間一般の司法への信頼を落としてしまう。
このような状況下にあって、日本の死刑制度は、存置するためではなく廃止するための証明が求められる、極めて優位な立場にある。

<関連>
クローズアップ現代「無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~えん罪に揺れるアメリカ~」
【動画】裁判官を信じられない - 人質司法と自白強要 (1)
【動画】裁判検証ができない-密かに進められる「言論規制」- Part 1

無実の“死刑囚”124人の衝撃 ~冤罪に揺れるアメリカ~
冤罪を生む構造が警察・司法制度にあるとしたら
アメリカの冤罪死刑囚


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