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あるレズビアンの葬儀より [LGBT]

数年前、レズビアンの友人が亡くなった。まだ二十歳だった。
共通の友人からすぐに連絡が入り、仕事を休んで葬儀に参列することにした。それでも、実感なんて全然無かった。道中もどこか半信半疑で、電話口で友人がすすり泣いても、なにか遠い出来事のようだった。悪い冗談じゃないかと思った。

クリスチャンだった彼女の葬儀は教会で行われた。棺の中に横たわる彼女を見て、ようやく死が紛れも無い事実なのだと思い知り、後から後から涙がこぼれた。
彼女は家族にも学校の友達にもカミングアウトしている、かなりオープンなレズビアンだったから、参列している多くの友人・知人は彼女のセクシャリティを知っていたし、その場には彼女の恋人もいた。
葬儀が進み、彼女と長年関わっていた牧師が思い出話をする。
「Rちゃんが小さい時、新しい牧師が若いお兄さんだと聞いて、コッソリお母さんの口紅を付けてきたのを思い出します。とてもおませな子でした。」

こんなの、彼女の人生じゃない。
レズビアンだった彼女に、それが意味のある行為だと言うの?
あれほど積極的にカミングアウトしていたRですら、こうやって、ヘテロだったかのように葬られるのか。たった20年の人生を、嘘で閉じられてしまうのか。
セクシャルマイノリティへの理解が深まりつつあるといわれる。同性愛者への差別は過去の話だという人もいる。けれど、一体どれだけのLGBTが、偽りの無い葬儀を迎えることが出来るだろうか。レズビアンとして、ゲイとして、バイセクシャルとして、一生を終えられるだろうか。

LGBTは未だに、世間にとって「いるはずの無い人たち」だ。


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死を糧にして回る社会 [総論]

さまざまな人の「死」を糧として、社会全体が回っている。

医療と福祉の切捨てを背景に、助けられる病で死ぬ人がいる。
経済の悪化と福祉の切捨てを背景に、餓死する人がいる。
労働条件の悪化を背景に、過労死する人がいる。
差別や偏見を背景に、殺される人がいる。
そして様々な社会状況を背景に、年間3万人の自殺者がいる。

いのちに「再チャレンジ」は無い。

殺人事件の被害者感情を理由して、厳罰化による感情回復がうたわれる。
殺人事件の凶悪化を理由にして、死刑の乱用が推進される。
殺人事件の増加を理由にして、警備と監視が強化される。
テロの脅威を理由にして、軍備強化への準備が進められる。
そして戦争と裁判に市民を引きずり込むことで、「殺さない権利」をも奪う。

これが、「美しい国」なのか。

企業が収益を上げるために、テレビが視聴率を上げるために、国家権力がそれを強化するために、人々を切り捨て、死に追い込み、そして死の悲劇をも利用して、更に社会は回る。
大きな声で「死ぬか殺すか」の二者択一を迫れているのを感じる。
その声の大きさに、猛烈な敗北感が襲ってくる。

それでも。
私は人として、生き残りたい。
殺す側にも殺される側にも、立ちたくない。


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