あるレズビアンの葬儀より [LGBT]
数年前、レズビアンの友人が亡くなった。まだ二十歳だった。
共通の友人からすぐに連絡が入り、仕事を休んで葬儀に参列することにした。それでも、実感なんて全然無かった。道中もどこか半信半疑で、電話口で友人がすすり泣いても、なにか遠い出来事のようだった。悪い冗談じゃないかと思った。
クリスチャンだった彼女の葬儀は教会で行われた。棺の中に横たわる彼女を見て、ようやく死が紛れも無い事実なのだと思い知り、後から後から涙がこぼれた。
彼女は家族にも学校の友達にもカミングアウトしている、かなりオープンなレズビアンだったから、参列している多くの友人・知人は彼女のセクシャリティを知っていたし、その場には彼女の恋人もいた。
葬儀が進み、彼女と長年関わっていた牧師が思い出話をする。
「Rちゃんが小さい時、新しい牧師が若いお兄さんだと聞いて、コッソリお母さんの口紅を付けてきたのを思い出します。とてもおませな子でした。」
こんなの、彼女の人生じゃない。
レズビアンだった彼女に、それが意味のある行為だと言うの?
あれほど積極的にカミングアウトしていたRですら、こうやって、ヘテロだったかのように葬られるのか。たった20年の人生を、嘘で閉じられてしまうのか。
セクシャルマイノリティへの理解が深まりつつあるといわれる。同性愛者への差別は過去の話だという人もいる。けれど、一体どれだけのLGBTが、偽りの無い葬儀を迎えることが出来るだろうか。レズビアンとして、ゲイとして、バイセクシャルとして、一生を終えられるだろうか。
LGBTは未だに、世間にとって「いるはずの無い人たち」だ。
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