「不可解な遺書」の真意 [自殺]
昨年10月、「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」との遺書を残して、自殺した少年のことを覚えているだろうか。
当時、連鎖的な「いじめ自殺」が全国で相次ぐ中、この少年もまた命をたった。その遺書のあまりの不可解さゆえに、私は勝手に少年の幼さを連想し、最後に残した言葉が何故これだったのか、不思議でならなかった。
少年は同級生から酷いいじめを受けていた。その背景からすれば、いじめた相手への恨みつらみや、命を絶たざるを得ないことの悔しさがつづられているほうが、いくらか納得できたからだ。
しかし、この言葉に込められた本当の「背景」を先月24日のニュース記事で知った。
遅くなったが紹介したい。
<福岡いじめ自殺>啓祐君の遺影、ディープインパクトと対面(毎日新聞 - 09月24日)
いじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中2年の森啓祐君(当時13歳)の遺族が24日、生前あこがれていた元競走馬ディープインパクトに会うため北海道の牧場を訪れた。啓祐君の写真を持って対面を果たした家族。母美加さん(37)は「ずっと息子の夢をかなえてあげたいと思っていた。家族としてひとつの区切りになった」と話した。
「馬は優しい目をしてるね」。啓祐君がのめりこみ始めたのは中学2年生になったばかりのころ。競馬中継にかじりつき、ジョッキーになりたいと夢を語った。視力が悪く、コンタクトレンズをつけていた啓祐君。「目が悪くてはなれない」と、美加さんにねだってはブルーベリーを食べていたという。
無敗で3冠を達成し、世界へも羽ばたいたディープインパクト。「どんどん強くなっていってるんだ」と家族に話して聞かせていたという。亡くなる直前は「ジョッキーは無理でも、馬にかかわる仕事がしたい」と調教師を目指していた。
一方、2年生に進級後、同級生によるいじめもひどさを増したことが分かっている。昨年10月11日、啓祐君は「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」という遺書を残して命を絶った。
この日、家族は4人で北海道安平町にある社台スタリオンステーションを訪れた。美加さんは啓祐君の写真を手に持ち、「会えて良かったね」と涙声で話しかけた。息子があこがれた馬を間近に見た父順二さん(40)は「(啓祐君は)ディープのように強くなりたかったのかもしれない。今日は見せてあげられて良かった」と話した。
【高橋咲子、金子淳】
少年の言葉を、自分勝手に「幼さ」だと解釈したことの失礼さ加減を思い知る。
他人には理解しがたい「最後の言葉」であっても、こんなにも生きた証が残されているのか。
この記事からすると、少年へのいじめが激化した時期と、少年が馬にのめりこみ始めたのは同じ時期のようだ。一頭の馬は、少年にとって最後の最後まで、数少ない希望であったに違いない。
7月のシンポジウムの時だったか、ライフリンクの清水代表がこの遺書について話していましたね。何度も声を詰まらせていたのが印象的でした。
私も家族の遺書を読んだ者です。誰かを恨んでいてもいいはずなのに、そんな言葉は残さずに逝ってしまう人の心中に何があったのか、遺された者の問いは終わることはないでしょう。
by しろのぽ (2007-10-02 22:09)
しろのぽさん
シンポジウムのとき仰ってましたね。他にも何通か遺書を取り上げられたのを覚えています。
>遺された者の問いは終わることはないでしょう。
本当にそうですよね。「死」はすべてを置き去りにしてしまいます。
「納得」することなんて生涯できないのでしょうが、それでも、受け入れ、回復する道はあるに違いないと信じたいです。それを周囲がサポートして行けるような社会になればと思います。
by sasakich (2007-10-03 01:08)