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単純には語れないルワンダの死刑廃止 [死刑制度]

◆ルワンダ政府死刑廃止へ◆

今年、ルワンダは法律で正式に死刑を廃止した100番目の国となった。何故わざわざ「法律で」と前置きするかといえば、アムネスティなどの統計には事実上の廃止国(法的には残っているが長く執行を停止している国など)も含まれているからだ。
ルワンダといえば「ホテル・ルワンダ」「ルワンダの涙」など映画にもなったように、大変な虐殺のあった国である。実に80万人以上が虐殺された。
だから私はこのニュースを知ったとき、ルワンダの人々が惨憺たる悲劇の末に「非暴力」を選択したのだなと感銘を受けたし、悲惨な歴史を持つルワンダが記念すべき100番目の廃止国となったことに感慨深いものがあった。

しかし、ニュースを見ると実はそう単純な話でもないようだ。
確かに前著したような「価値観の転換」的要素もあるのかも知れない。けれど、それだけではない。
国内での大量虐殺の末、被害者や遺族は戦犯を極刑にすることを強く求めた。想像を絶するほどの憎しみと怒りが国中を覆ったであろうことは想像に難くない。だから、むしろ虐殺後のルワンダ国内は、死刑を求める声が圧倒的であった。
死刑が廃止された今でも「我々を皆殺ししようとしたものたちを元気づかせるだけだ」「これは屈辱だ。私は家族をすべて失い、今日まで何の補償も受けていない」といった被害者遺族からの怒りは絶えない。
それにも関わらず死刑が廃止されたのには事情がある。
虐殺を行った戦犯の多く(実に100名余り)が、先進諸国へと国外逃亡してしまったのだ。
ルワンダ政府は当然のこととして、逃亡先の国々に戦犯の引渡しを求めた。ところが、日本とアメリカを除いて、先進諸国は死刑制度を廃止している。そのため、帰国すれば間違いなく殺されるであろう戦犯たちの身柄引渡しを拒んだのである。
こうした死刑制度の国際上の問題については以前も少し触れたが、やはり死刑廃止国からすれば、死刑から逃れて自国にやってきた人々を、いかなる事情があるにせよ殺す(死刑にする)ために帰国させることは出来ないのだ。
こうした事情から、ルワンダは死刑制度について大きな選択を迫られることとなった。
本来、国民大半のストレートな希望としては、国内法によって死刑に処するべきとの声が圧倒的だった。しかし、それは現実的に不可能だ。どうしても殺したいと願えば引渡しを拒否されて裁判にかけることすら出来ず、どうしても裁き・罰したいなら死刑を廃止しなければならない。
ルワンダ政府は、最終的に「殺す」ことを捨てて「裁く」ことを選択した。戦犯を見逃すのではなく罰するためにこそ、死刑制度を廃止したのだ。
ルワンダが死刑を廃止することは、国外逃亡している戦犯を死刑から免れさせることだけを意味しない。既に国内で死刑が確定していた戦犯約650人についても、自動的に「終身刑への減刑」をすることになるのだ。戦犯への怒りが充満する中、それはまさに苦渋の決断であったろうと想像する。

こうした複雑な背景を前にすると、ルワンダの死刑廃止は「厳罰=死刑」との単純な論理でも、「許し・非暴力=死刑廃止」との単純な論理でも語れないと感じる。繰り返すが、ルワンダは戦犯を厳しく罰するためにこそ、死刑を廃止したのだから。
このことから教えられるのは、「厳しい裁き」と「死刑」は必ずしもイコールではないということだ。
ルイーズ・アーバー国連人権高等弁務官はルワンダの死刑廃止について「死刑を禁止する法律の発布により、ルワンダは生存権を確実に尊重する重要な一歩を踏み出すと同時に、1994年の虐殺という凶悪な犯罪の責任者を法の裁きにかけるために大きく前進した」と述べた。死刑を廃止するという先進諸国(日本・アメリカの除く)並みの「人権意識」と、戦犯を厳しく罰する「社会正義」を同時に実現したと評価したのだ。

大量虐殺が起きた上、戦犯の逃亡によってこれほど葛藤に満ちた選択を迫られたことに、新たなルワンダの悲劇がある。日本では近頃「許せないから死刑だ」「悪いことをやったら死刑で当然」と安易に言い放つ方が多いが、ルワンダはそうした「単純なコト」を言っていられない状態だった。
だからこそルワンダの選択は、私により奥深く、なにかを問いかける。

<関連>
ルワンダ:正義の追及を促進する死刑廃止
ルワンダ:許されざるものを許す


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円

名古屋市千種区で今年8月、派遣社員、磯谷利恵さん(31)が携帯電話のサイトで互いを知り合った男3人に拉致され、殺害された事件で、強盗殺人などの疑いで逮捕された男3人への死刑を求める署名が10万人を超えたことが3日、分かった。遺族はさらに協力を呼び掛けた上、署名簿を名古屋地裁に提出する。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/nagoya_chikusa_case/?1191395375
こんなニュースがありました。
遺族の方のお気持ちはともかく、10万人もの人がまだ裁判も始まっていないのに死刑を求める署名をしたというのは、何だか恐ろしいと感じました。
どう思われますか。
by 円 (2007-10-04 08:24) 

abc

ホテルルワンダは興味深い情報ありがとうございます。

>大量虐殺が起きた上、戦犯の逃亡によってこれほど葛藤に満ちた選択を迫られたことに、新たなルワンダの悲劇がある。
 
 この悲劇をどのように乗り越えていくのか、果たして国を二分するような争いにならずに乗り越えられるのか、ルワンダの今後に注目します。

 ところでこの場合、法の不遡及性はどうなるのか気になります。やはり法哲学よりも先に政治的決着がある、ということで落ち着くのでしょうか。ご存じでしたら教えてください。
by abc (2007-10-04 10:25) 

sasakich

>円さん
この署名運動については、以前からニュースで知っていました。昨日、たまたま「きっ子のブログ」を見たら10万人集まったとのことで驚きました。
もちろん遺族がこうした感情を持つことも、署名活動をすることも反対しません。ただ仰るように、まだ裁判が始まらす事実関係もハッキリしない中で「遺族が悲しんでおり、人が死んだのだから、とにかく死刑」と多くの人が考え、実際に署名まで行ったことには違和感を持ちます。
そして、声を上げる遺族だけに注目が集まり、声を上げられない遺族、もしくは遺族すらいない被害者が、更に忘れ去られていくのではないかとも思います。
そのうちエントリーで取り上げるかもしれません。


>sbcさん
実際に死刑を廃止している国々でも、国民の圧倒的な賛成を経て廃止に至った国はほとんど(まったく?)ありません。それぞれの国によって廃止への経緯は違いますが、いずれの国でも死刑制度を復活したことは無いし、廃止後に国論を二分するような争いになった歴史も私の知る限りではありません。
ですから、ルワンダもおそらく、時間はかかっても「死刑制度の無い国」を国民が徐々に受け入れていくのだろうと思います。

「法の不遡及性」とはどういう意味でしょうか?
ちょっと質問の意図が分からなくて(^^;
よれしければ補足をお願いします。
by sasakich (2007-10-04 13:13) 

abc

>国民の圧倒的な賛成を経て廃止に至った国はほとんど(まったく?)ありません。

 過半数は賛成しているから廃止に至ったという理解でいいんでしょうか?それとも一部の権力者や政治団体の意向が強く働いた、ということなんでしょうか?
 この辺は社会のルール決定に関する基本的なことなので、やはり気になります。ルワンダに関する懸念も同様です(恐らく国民の過半数が死刑廃止に賛成したとは思えないため、将来に禍根を残さないだろうかという懸念)。

 法の不遡及性というのは、法律は施行以前の出来事に対しては効力を発揮しないということです。インパクトフレーズでは「今日の行為は今日の法律でのみ裁かれる」とでも言えばいいでしょうか。
 
 質問の意図は、虐殺、内乱の"戦犯"を今の(事後の)法律で裁くことに何の問題もないのだろうか?という疑問提示です。
by abc (2007-10-06 13:18) 

sasakich

abcさん

>半数は賛成しているから廃止に至ったという理解でいいんでしょうか?
国によって違うと思いますが、世論調査などで死刑存置の意見が上回っていても、国会で多数の議員によって決議され、廃止される傾向が強いです。
国民が直接的に死刑廃止を選択するのではなく、国民の選んだ議員が死刑廃止を選択する。間接的な民意の反映とでも言えば良いでしょうか。
「将来に禍根を残さないか」については、日本の情況が特殊であることを踏まえておくべきだと思います。現在の日本のように、遺族感情ばかりが存置理由としてあげられる例は珍しいわけです。
例えば「犯罪抑止効果」が主な存置理由である場合、廃止されるまではそれを信じている(故に存置を望む)国民が多数でも、実際に廃止されてみると現に犯罪は増加しないわけです。そうすると、心配していたリスクが起こらないことが(廃止して初めて)証明されるので、「復活しろ!」との議論にはなりません。

>虐殺、内乱の"戦犯"を今の(事後の)法律で裁くことに何の問題もないのだろうか?という疑問提示です。
んー、まだちょっと意図が分かりかねますが
内乱の最中はもしかしたら「一定の正義」だった人が、虐殺が終わった今の価値観で「悪人」として裁かれることへの疑問でしょうか?
であれば、あらゆる戦争についてその辺は問題になってきたわけで、難しいところだとは思います。
ただ私としては、虐殺当時いかに彼らが悪意がなく、むしろ「正義のために殺した」のであっても、「社会が(悲劇の末に)新しく選択した価値観」の下で裁くのは妥当だと思います。
by sasakich (2007-10-06 14:03) 

abc

どうも。
議論がかみ合わない方向に向かっているようなので、考えを丁寧に整理しているうちにずいぶん時間が経ちました。
少し前向きな方向にまとめられたように考えますので、以下コメントします。

その前に2つお断りしておきます。
1.私は法律の専門家ではなく、wikipediaレベルの知識しかありません。
  (ので死刑制度の諸問題を切り分けられるか分かりません。抜け落ちている視点もあると思います。)
2.私は死刑廃止論者でも存置論者でもありません。微妙な問題のわりに論じるだけの知識がないので保留しています。

■「将来に禍根を残さないか」
 sasakichiさんは、日本の特殊性に留意すべきとおっしゃいます。他国を知りませんので断言は出来ませんが、おそらく特殊性はその通りと思います。
 しかし一方でルワンダも別の意味で特殊であると考えます。それはルワンダの死刑希望者は日本の(被害者感情を特別に重視する)死刑存置論者ではなく、被害者そのものである点です。恐らく国民の殆どが、親類縁者を無根拠あるいは言われなき根拠で殺されているはずです。そこでの死刑存置の主張は、日本でのそれとはまた違った意味を認めるべきと考えます。

 そして「将来に禍根を残さないか」というのは、
 そういう被害者本人達が大多数を占める国家において、外圧として死刑を廃止せざるを得なかった情況が、国民の多くに「死刑廃止を選び取らされた」という感覚を残すのではないか。そのような感覚はこの裁きそのものを他者から強制された受身的なものとして捕らえ、"虐殺の本当の裁きは終わっていない"として何らかの形での裁きを追加して求める(具体的には再び内乱が起きる)ことに繋がるのではないか。ということです。

■「法の不遡及性」
 この問題、内戦状態の行為をその終了後に裁くという特別な情況なので、一般的な法律論(法哲学)で語れないような気がしてきました。

>「社会が(悲劇の末に)新しく選択した価値観」の下で裁くのは妥当だと思います。

「裁く」ということが、価値判断を下すことならばまさにその通りでしょう。それを拒否することは新しい価値観の否定だと思います。ただ「裁く」ことが何らかの罰を与える場合には、その権限はいったいどこにあるのだろうかという疑問はあります。

以下、この問題を考える際に参考となる問いです。
------------------------------
(問)
 危険運転致死傷罪がなかった時代の飲酒死亡事故等の悪質な犯罪者は、危険運転致死傷施行後「社会が新しく選択した価値観」によってどのように裁かれるのか。
 ※この場合、新しく選択した価値観とは、
  道徳的側面=「飲酒運転は今まで以上の悪という価値観」
  法律的側面=「危険運転致死傷罪。これは新たな価値観を具現化したといえる」
  の両面を含む。

 1.今まで以上に「悪人」と非難されるか(道徳的な新しい価値観が適用されるか)。
   ・酒を飲みたいという自分の欲求のためなら、結果的に人を殺すことも辞さない悪人。あるいは自制心の効かない未熟な人と非難されるか。
 2.危険運転致死傷罪に定められた罰を適用されるか(=法律的な新しい価値観が適用されるか)
------------------------------

 結局のところ、「裁く」というのが「価値観というような道徳的な面」なのか「明文化された法律的な面」なのか、という問題と時系列的に遡れるかという問題のセットだと思います。

なので、私の疑問は
>内乱の最中はもしかしたら「一定の正義」だった人が、虐殺が終わった今の価値観で「悪人」として裁かれることへの疑問でしょうか?
というよりも
「内乱中の「法律」で「死刑相当の行為を行った」人が、虐殺が終わった今の「法律」「死刑はないもの」として裁かれることへの疑問」とした方がしっくりときます。
 
■まとめ
 全体的に、死刑制度そのものの問題と、戦争と戦争犯罪者への裁きの問題が混在しているのでややこしくなったようです。そういう意味ではこの出来事は、死刑廃止論の優勢やその正しさを支持するものではないと考えます。逆に言うと例えルワンダで死刑が復活しても、死刑存置論の優勢やその正しさを支持するものでもありません。
 私の結論としては、戦争犯罪者に対する裁きを一般の法律における死刑廃止と関連付けて語るのはやめておいたほうが良いということになりました。

■余談
 1.おっしゃるとおりルワンダでは死刑を復活せよという主張は起きないかもしれません。共産主義後の東欧の様に多数の理由なき死を経験した国は死刑廃止の傾向があるようですので、死刑復活は無いように感じます。
 2.死刑は存在しないにしても自国で裁くことを選択したという点で、先の大戦を全く裁かず国内法では誰も責任を取っていない日本よりは禍根を残さないかも知れません。
 3.この件調べていて分かったのですが、ルワンダ国際戦犯法廷というのがあるようです。これと今回の法律改定による裁きの関係が上手く理解できませんでした。二重に裁かれることになるんでしょうか?

■最後に
元々は、エントリー
>ルワンダは戦犯を厳しく罰するためにこそ、死刑を廃止したのだから。
>このことから教えられるのは、「厳しい裁き」と「死刑」は必ずしもイコールではないということだ。

という二文になんとなく違和感があってコメントをつけたのでした。
だんだん整理して分かりましたが、
死刑を廃止したのは、「厳しく罰するため」ではなく、罰することが出来ないよりは罰したいからだと思いますし、
死刑はやはり現存する最も厳しい罰だろうと思います。

最初に整理して書いとけばもっと混乱少なかったですね。失礼しました。
by abc (2007-10-11 05:39) 

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