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「殺すな」と叫ぶことが恐ろしい社会 [死刑制度]

死刑執行に対する抗議デモに参加したときのこと。その数週間前に知り合った女性とたまたま一緒になり、デモ前に雑談をしていた。
「私、デモなんてするの初めてだよ~。大丈夫かな?」と彼女が不安を口にするのを聞いて、この「大丈夫かな」が「上手く出来るかな」を意味しているわけではないことに、すぐ気がついた。それは「非難されないかな」を、もっと言えば「暴力を受けないかな」を意味していた。

デモがあったのは、光市の事件でメディアが「裁判を死刑廃止に利用するとはとんでもない!」と怒り狂った直後。
本当に弁護団が裁判を私的に利用しているのか検証されないまま、弁護士の態度を卑怯であると断定し、こんな奴らは弁護士を辞めさせるべきだとバッシングが起こる。死刑の存廃について正面から議論するのではなく「卑怯な奴らが言ってるから間違ってるに決まってる」という、私に言わせればそれこそ卑怯な論法で、死刑廃止運動が糾弾されて行く。
そんな中で「死刑を廃止しろ!」と街中で叫ぶことは、確かに怖いことだった。

なんだか変な話だと思う。
死刑に対して様々な意見があるのは当然だし、様々な意見がなくてはいけないと思う。その中には当然、廃止運動の思想・方法に対する非難もあってしかるべきだ。
けれど、死刑廃止を口にすること自体が「暴力を受けるのではないか」という不安に繋がる社会は、果たして「安全」なのか。治安が守られていると言えるのか。死刑事件の弁護人に100件を越える抗議(というより脅迫に近い)電話が押し寄せ、脅迫文と銃弾の模造品が送りつけられる現象が、「平和で安全な社会」へと進む前兆だとはとても思えない。

殺人事件は確かに怖い。凶悪事件であれば尚更怖い。
けれど、「人を殺すな」と口にすることが恐ろしい社会もまた、それと同じかそれ以上に、怖い。


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