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選挙前の「和解ラッシュ」に何があったのか [選挙]

トンネルじん肺、東京大気汚染、中国残留孤児と、大きな賠償訴訟が3つ続けて和解になった。いずれも長期に渡る裁判に決着がついた形だ。
気になるのは、この3つの和解が、あまりにも短期間に集中していることだ。トンネルじん肺が6月30日、東京大気汚染が7月2日、中国残留孤児が7月8日である。約一週間の間に、これほど大きな訴訟が3つも解決するなんて、今までにあったのだろうか。
ざっと調べた限りで申し訳ないが、それぞれの訴訟の大まかな流れはこうだ。
  ◆トンネルじん肺
  1997年以降、トンネル工事に従事した元作業員らが、ゼネコンに損害賠償を求めて訴訟。
  2001~2003年にゼネコンとの和解が順次成立。
  2002年以降、発注元である国を相手取り、全国11地裁で訴訟が行われていた。
  ◆東京大気汚染
  1996年5月、公害の被害者が国・東京都・首都高速道路公団・自動車メーカーを相手に訴訟。
  2006年の第六次提訴までに630人が原告となる。
  東京高裁は2006年の高裁結審で「解決勧告」を出していた。
  ◆中国残留孤児
  2003年9月、5府県の「中国残留孤児」が国を相手取って訴訟。
  その後も各地で同内容の訴訟が起こる。
  2006年12月には神戸地裁での原告勝訴に国側が控訴するなど、各地で裁判が続いていた。
本当に概要に過ぎないが、だいたいの裁判の流れとしてはこうである。
いずれも長年の戦いだったわけだが、それ自体について私はよく知らないので、とりあえず良いことだとは思いつつ、深く掘り下げることは出来ない。疑問に思うのは、訴訟内容自体ではなく「和解の時期」である。

国賠訴訟で和解が成立したとき、テレビや新聞が流すお決まりの映像の1つに「首相と握手し、感謝する原告の図」がある。
これは妄想かもしれないが、というかそうであって欲しいが、この3つの大きな和解は、非常に遠隔的で間接的な選挙対策の一面もあるのではないか。
もちろん、和解にOKを出すか出さないかは原告側の判断である。その意味では、和解時期の決定権は原告側にある。しかし、原告がOKを出しそうな和解案を出すかどうかは、被告の判断である。原告側の要求をどの程度呑むかは訴えられた側のサジ加減ひとつであって、そういう視点から言えば、和解時期を決めるのは訴えられた側でもある。
大気汚染訴訟に関しては、主たる被告はメーカーであったから、国(安部内閣)の都合がどうだろうと関係ない。と思われるかもしれないが、訴えられているのはトヨタ・日産・三菱などいずれも大手企業で、まぁ、言ってしまえば、政府から要請があれば動く人たちではあるわけだ。

本来なら今回の選挙は7月5日に公示されるはずだった。もし会期が延長されなければ、国会が終わってまだ選挙も始まらない「空白期間」の中で、和解ラッシュはもう少し大きく報道されただろうし、そのことは大いに内閣のイメージアップに繋がったのではないか。
とは言え、実際には、トンネルじん肺が和解した日に久間発言があり、大気汚染訴訟が和解した翌日に久間元防衛相が辞任し、中国残留孤児が和解した頃は赤城大臣の事務所費処理が大きな問題となっていた。どの和解のニュースも、さして大きく報じられることは無かった。
なんていうか、もし和解が意図的な戦略だったなら「残念な結果」である。

これはただの妄想という名の陰謀論だろうか。
一連の和解ラッシュが「国が市民のことを考えた結果」ではないとすれば、非常にねじれた話だが「和解という形で国民を軽視した」とも言えるのだから。何十年にも渡って苦しみぬいた人たちへの態度を、たかが、いち内閣の選挙のために利用したことになってしまう。
そんなことは、起こらなかったのだと、思いたい。


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