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「難民は差別語」という発想に差別意識はないのか? [貧困]

先月、「ネットカフェ難民」は差別語だ…業界団体が声明発表を見て、ネカフェ難民についての統計調査に業界団体が反発していることを知り、じゃあ国の統計調査自体の信憑性も怪しいんじゃないか、といった趣旨でエントリーを書いた。
一方で「難民は差別語」って言葉にも大変引っかかりを覚え、今日と同タイトルでエントリーしようと思っていたのだけど、引越し準備にかまけているうち、かめ?ブログで同趣旨のエントリーがあったので、他の人が書いてるならまぁ良いやーと思って放置していた。
しかし、またしてもですよ。
ネットカフェ業界 遠のく女性客…「難民」呼称に反発

まず「難民なんて差別的な呼称は失礼」という発想に「じゃあ本当の難民は差別されて良いんかい」という疑問は0.5秒くらいで沸くが、それについては前著かめ?ブログと重複するので置く。
この話題について、私がまた別の面から憤りを感じるのは、ごく端的に表現すれば「お前が言うな」って問題だ。
「『住居喪失不安定就労者』はサウナやファストフード店にもいるだろう」「ネットカフェだけに、そういう人がいるという印象を与える」と業界団体は怒っている。
そりゃ確かに、マックにもサウナにも「難民」はいる。けれど、マックなんて定期的にバイトが起こしに来るし、だいたい机に突っ伏すか椅子にもたれかかるしか寝る方法も無い。一方でネットカフェは、シャワーを完備するなど「どうぞ泊まってください」という体制を作り、明らかに「難民」を始めとする宿泊客をターゲットに商売している側面がある。
当初は「便利だからたまたま」定住できない人々がネカフェ・マンガ喫茶を使っていたにしろ、今は店の側が宿泊客を一定の客層と捕らえて商売をしているじゃないか。今や、宿泊客の需要がなければ、それはそれで客足は減る。特に深夜はネカフェ難民を始めとする宿泊客あっての収益であり、ネカフェ難民あっての24時間営業という側面もあるはずだ。
それを棚に上げて「うちだけにいるわけじゃない」とか言われても、困ったもんである。

私もネカフェには何回か泊まったが、あんな狭い部屋なのに毎日泊まれば月4万円近くなり、安価なアパートと変わらない。その上、料理も冷凍食品・スナック菓子でぼったくっているわけで、そこで生活せざるを得ない「難民」から散々儲けているから、店からすれば確かに「大切なお客様」だ。
しかし、じゃあなんで「他の場所にもいる」とか言って存在を隠そうとするのか。もっとおおっぴらに「ネカフェ難民歓迎!」「足を伸ばして眠れます!」とか宣伝しても良いくらいじゃないか。
そうしない理由は、彼らの訴える客足の減少にあるわけだ。
家を持たない人々に対するイメージが悪いのは、もちろんネカフェのせいではない。社会全体の差別意識の問題だ。そして、実際にネットカフェで暮らす人は、いわゆる「浮浪者」イメージと一致しないことも承知している(浮浪者イメージと一致すれば差別して良いのかという問題は置く)。「難民」の言葉から想起される誤ったイメージが、収益減少に繋がっているのは確かに事実なんだろう。
けれど、それでも疑問に思うのは、彼らが「ネカフェ難民」から実際には暴利とも言える金を儲けておきながら、一方で一般女性客には「うちにはネカフェ難民なんていませんよ、安心してください」と言っているように見えることだ。
そのダブルスタンダードを、私なりの悪意に満ちた独断と偏見で解釈すれば「ネカフェ難民には儲けさせて欲しいが、他の客が減るから、来てるってバレないようにしろよ」とのメッセージに思える。


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弱者が弱者を叩いて、経済は成長する [貧困]

私は契約社員時代、後半の2年間くらいは部下がいる立場だった。
職種としてはIT関係の技術職で、出来たばかりの会社だったから、社員は平均20代半ば~後半と若く、昇進に関しても原則的に成果主義。30代・40代の新入社員を、20代前半の社員が教育したり面談(という名の説教)することは日常茶飯事だった。私はその中で、社員を教育し面談する立場にあった。
成果主義に批判的な人がすぐに思い描くのは、モラルも社会常識もない若い社員(例えば、茶髪でピアスのチャラ男)が、いい年したオッサンにタメ口で説教する図かも知れない。
まぁ、確かに私もピアスを6個してるし、茶髪だったこともある。モラルや社会常識があるかは皆さんに判断していただくとして、タメ口に近い言葉で説教したこともある。成果主義を批判する人々が思い描く「よくある構図」に、見た目としては符合する。
しかし、だ。その図の中で傷ついているのは、果たしてオッサンの側だけだろうか?
少なくとも私は、30代を超えた社員(しかも時には先輩)を指導したり、そういう人に説教したりするのは苦痛だった。そういう面談のある日は朝から暗い気持ちで陰鬱とした。「社員とは」「仕事とは」みたいな話をせざるを得ない場面で、熱く語りながら、心の中では「コムスメがなに言ってんだか」と自分で自分に嫌気がさした。
でも仕事だ、仕方ないじゃないかと自分に言い聞かせて日々の業務をこなすしかない。派遣社員を「もうこんなに人数いらない」と、解雇するよう上に意見したこともある。出勤の度に1時間以上も面談して、成果の上がらない中年社員を何人も自主退職に追い込んで来た。
だから本当は、私なんかに「弱者」の立場から貧困問題を語る資格は無い。社員を切り捨てる立場にあったし、現に切り捨ててきたのだから。

やっていたのは、非常に時間に追われる仕事だった。文字通り1分1秒が勝負の現場だ。そんな中で、入ってきた社員の進捗が予想より遅ければ、私も含めた他の社員がその分、忙しくなる。ただでさえ忙しい職場は戦場と化し、「過労死」がリアルに響いてくる。
本当なら、一人進捗が遅いくらいで、そこまで忙しくなってしまうような人員配置がおかしい。コスト削減の名の下にギリギリの人数で計画しているから、こんなことになる。悪いのは経営側だ。
それが頭で分かっていても、自分や後輩が忙しく働く隣で、他の社員がチンタラ(と見える)仕事をしていれば、どうしても苛立ちや憎しみはその社員に向いてしまう。もっと上にある根本的な問題は、忙しい日々の中で見失われ、ただただ隣りにいる成績の悪い社員への憎しみばかりが増強される。面談をすれば、自然と評価や言葉は厳しいものになり、「本当に危機感もってやってるんですか?」「やる気あるんですか?」と口をついて出る。

だが、そうやって人を切り捨てていた私も、所詮は契約社員だった。なにしろ百数十人いる職場で、正社員は十人いるかいないかという会社だ。経営に直接タッチする役職以外は、すべて契約か派遣かアルバイトである。
本当なら、契約も派遣もバイトも団結して「経営者の人員配置がおかしいから、こんなことになるんだ!」と怒らなければいけなかった。けれど実際には、隣りにいる社員ばかりを怒り、「お前のせいで私は忙しいんだよ!」と毎日思い、それが派遣なら「あの人はいりません」と容赦なくチクった。
そうやって、契約社員が非正規雇用者を切り捨てることで、経営側の提示した(時には無茶な)枠内の中だけでガス抜きが行われ、業務が回る。

以前のような労働組合活動や「労働者の結束」が難しくなったと言われて久しい。
ひとつには、雇用主がバラバラだから(社員はその会社が雇っているが、派遣は派遣会社が雇っているから)、同じ相手に交渉できないという制度的な問題がある。
しかし、もうひとつ心理的な要素として、私は自分のいた立場と、自分の抱いていた感情に、団結が難しい理由の一端を見る。そして、その感情もあるいは、意図してかせずしてか、企業側に誘導されたものであったのだろうと今は思う。
弱いものが更に弱いものを叩いて、日本の「経済回復」は、今日も実行されている。


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ビッグイシューを知っていますか [貧困]

ビッグイシューという雑誌をご存知だろうか。この雑誌はホームレス又は家を持たない人だけが販売を許され、その売り上げの半分以上(一冊200円の雑誌で110円)が販売員の収入になる、ホームレス支援事業のひとつである。雑誌内容は様々な社会問題や流行を扱い、特に若い世代が読みやすいような充実したものになっている。表紙は毎回、著名人がかざる。
この取り組みは元々はイギリスから始まり、今ではいくつかの国で実施されている。日本では2003年9月に始まった。東京や大阪ではかなりの場所で販売されているので、都会にお住まいの方なら、ビッグイシューの販売員を一度は目にしたことがあるはずだ。

ホームレスの多くは、実際には働いて自立することを望んでいる。しかし、まだまだ「働くのが嫌でサボっている人」といったイメージが強いかもしれない。特に「仕事が人生で一番価値あるもの」である日本人にとって、無業であるということは実に簡単に差別と結びつく。まさに「働かざるもの食うべからず」というやつだ。
それでも、いや、だからこそ、ビッグイシューの販売員たちは熱心に雑誌を売る。販売員にはいくつかの行動規範が定められているので、販売時の態度にも気を使うし、服装にも気をつける(といっても、もちろん金がないので限界はあるが)。
「勤勉な日本人」であるホームレスたちにとって、働くことは、おそらく収入以上のなにかも与えているのだろう。

今年、数年ぶりに東京へ行き、驚いたのはホームレスが格段に減っていたことだ。渋谷駅といえば、私にとっては「ホームレスの場所」だったのが、今年行ってみると、その姿はほとんど無い。
少し前には私の地元、島根でもホームレスを見かけるようになっており、家を持てない人が増えているんだな、地方にもホームレスが出るようになってきたんだなと思っていた矢先だったから、あまりのギャップに驚かざるを得なかった。
救済されて自立したからいなくなった、とは私にはとても思えず、むしろ公共の場から強制的に排除されたのではないかと心配になる。夜に渋谷駅をぐるっと一周してみると、昔ながら(?)のブルーシートのテントや路上で寝ている人を発見することが出来、「あぁ、生きていたんだな」と安堵してしまう、妙な感覚に陥る。それでも、昼間にハチ公口の前にいるホームレスは、やはり減った。
悲惨な現実を覆い隠す「美しい国」で、彼らは今日も、街頭に立ち、大きな声で雑誌を売っている。

<参考>
【ビッグイシュー日本版】
http://www.bigissue.jp/
【ビッグイシュー日本版 佐藤代表のインタビュー】
http://digiper.com/interview/archives/2005/08/post_1.shtml


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貧困太りと裕福痩せ [貧困]

スローライフやロハスが推奨されるようになって、どれくらいだろう。なんとなく良い目標なのだろうとは思いつつ、どうにも乗り切れない自分がいる。
例えばスローライフやロハスを実践するための道筋として紹介されるのは、環境への意識を高めるとか、経済優先の考え方を改めるとか、食の安全に興味を持ちましょうといった、いわば精神論が主流である。
もちろん、それはそれで大切なことだ。しかし、意識改革だけでは、スローライフもロハスな生活も実現されない。
私が契約社員として会社勤めをしていた頃、いつも夜10時過ぎに帰宅し、翌朝は7時に家を出て、昼休憩は30分あるか無いかだった。そして給料は安かった。そんな状況の中で食べられる物といえば、マックに代表される安い早いのジャンクフードか、せいぜいコンビニ弁当である。
環境や食の安全への意識がいかに高くても、それを実践する金銭的・時間的余裕が、ビンボー人には無い。長時間労働を終えて夜中に帰った人間が、帰宅してから鰹節と昆布できちんとダシを取った料理なんて作れるはずも無い。
そこそこ裕福な人間だけが、安全で高価な有機野菜と国産牛を使って、きちんとダシをとり、カネと時間のかかる「安全なスローフード」を口にすることが出来るのである。

もちろん、ジャンクフードがこれほどまでに広まった理由は、他にもある。
添加物には習慣性があるため、食べれば食べるほど、同じ商品がお腹いっぱい以上に欲しくなる。添加物を取り続けることで、アミノ酸化合物やたんぱく加水分解物に代表されるうまみ調味料(という名の添加物)が入っていないと「おいしい」と感じない舌になってくる。そこそこ裕福でも、食品の質や安全性より安さを基準に食品・食材を選ぶ人も多い。
だが一方で、ジャンクフードを作る材料や労働を提供しているのも、それを消費しているのも、多くの場合は貧しい人々であることも事実だ。貧しい発展途上国の提供した材料で、自給の安い非正規雇用者が調理し、自給の安い非正規雇用者が販売し、所得の低い人々がそれを消費する。見事なまでの「貧困者ループ」がここにはある。
実際、世界の「肥満者」の実に1/3は発展途上国の人々であるとのデータもある。安全ではないが安くて早く手に入れることの出来るジャンクフードを、多くの貧困者が「食べさせられて」いるからだ。貧しい人々はもちろん、フットネスに行ってダイエットをするような時間・金銭的余裕も無い。
「超え太る」とは裕福な者を評して使われる言葉だが、昨今では「貧困ゆえに太る」ことすら起こり得るのだ。

ジャンクフードが貧困者を食い物にする中で、業界の上に位置する人々だけが、その労働と消費を吸い上げ、更に富を蓄積して「スローフード」を口にする。

<参考>
【安部司インタビュー「"食品の裏側"を明らかにする」】
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/interview/62/
【ダーウィンの悪夢】
http://www.darwin-movie.jp/


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島根労働局 不正テキスト問題 [貧困]

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<西日本新聞「面接で「給料聞くな」 島根労働局のテキスト」>
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20070620/20070620_012.shtml
島根労働局(松江市)の求職者向け再就職支援セミナーで「面接の際に給料、残業、休日について聞いてはならない」と記したテキストを参加者に配っていたことが20日、分かった。
同労働局の中島住夫職業安定課長は「テキストの点検が不十分だったと反省している。再点検し早急に問題の個所を削除・修正したい」と話している。
島根労働局によると、テキストは2005年度から、ハローワーク島根(松江市)が主催するセミナーで使われていた「面接の受け方」。労働局の委託を受けた都内の会社が作った。
「面接必勝の秘訣」の項目に「自分から給料、休日、勤務時間、役職の話は持ち出さない」とあるほか、面接の最後に「何か質問は」と聞かれた際のポイントとして「間違っても給料、残業、休日について聞いてはならない」と書かれていた。
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これ、実は私が告発しました(笑)

この問題については当事者性が強すぎるので取り上げないつもりだったけど、各地方紙及び全国紙でも報道され、2chでも話題になっているようなので、一応、言及しておきます。
私が該当のセミナーを受けたのは今月4日。島根県出雲市のハローワークが主催した「就職支援セミナー」においてでした。その数日前に私は東京へ旅行していて、上京を控えていることもあって、求人フリーペーパーなどを読み漁っていました。そこには「後々モメないためにも、面接の段階で労働条件についてよく確認しておきましょう」「アルバイトでも有給休暇が認められます」といった、当たり前でありながら若年層にはあまり周知されていない情報が乗っており、「やっぱ東京は進んでるべぇ、さすがだなぁ」などと思っていたわけです。
で、帰ってきて地元のセミナーに参加したら、この有様。
新聞には書かれていませんが、このテキストには「入社日はいつ頃になりますか」との質問に対しても「期限などつけてはならない。そんなことでは、やる気があるのか疑われます」といった内容も綴られています。上京予定である私にとっては、それも「上京も雇用先の都合に合わせろってことかよ」と感じずにはいられませんでした。
内容のあまりのひどさに辟易し、というかむしろ笑うしかなく、告発(?)に至ったのです。
島根県議会で取り上げられたこの問題は、地方紙と全国紙(朝日新聞)で大きく扱われ、朝日新聞の要請によって、ついには国(厚労省)が、どの程度このテキストを採用しているかを労働局に調査させ、指導するに至ったのです。

正直、ここに書かれている内容は、今の若年層にとっては「当たり前」のことでしょう。残業・給与・休日について聞かず、いわば「雇っていただけるなら奴隷になります」的な姿勢を示すことでしか職を得られないという厳しい現実があります。
しかし、それを国(の一部である労働局)が認めていることは、大きな問題です。こんなことでは、格差是正も、サービス残業根絶も、されるはずが無い。企業にとっても、労働条件すら確認しないで入ってきた人が、後々になって「そんな話聞いてない」と反発するのもマイナスなわけですが、まぁ、そんな「贅沢」を言う労働者は少ないってことなんでしょうかね。

ただ、私にとって一番衝撃的だったのは、多くの人がこのセミナーを受けていながら、今までまったく問題にならなかったことです。
私はまったくもって、特別なことをした気持ちはありません。自分が「オカシイ」と思ったことを、単に「これ、オカシくね!?」と言っただけです。それがこれほど大きな問題となり、告発者が「特別な人」であるならば、オカシイことをオカシイとすら感じない人が増えていることこそ、由々しき題だと思うのです。
朝日新聞の要請による厚労省の調べによれば、このテキストを使ったセミナーは2005年から今までの2年に渡り、16府県の約9万人に及ぶ受講者が受けてきました。私の経験からすれば、おそらく多くのセミナーで、該当部分をテキストを作成した民間企業の人が読み上げ、指導していたのだと思います。
それにも関わらず、今までまったく問題になってこなかったのです。
だれもオカシイと思わなかったのか、そう思っても口にしなかったのか、口にしたけれども誰も取り合わなかったのか、いずれにしてもダメダメでしょう。
実際、セミナーに参加した個人的な感覚で言えば、ほとんどの人がオカシイとすら思わなかったのかなという気がしています。私が参加したときは若い人が中心でしたが、みんなこれを見て疑問を持つどころか、そうなのか!って感じでメモをする人さえいましたから。
若年者に、いかに「労働者の権利」が伝承されていないかを実感する出来事でした。


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「生きさせろ!難民化する若者たち」に見る、生きていく私たち [貧困]

雨宮処凛の「生きさせろ!難民化する若者たち」を読んだ。ネカフェ難民に象徴される「新しい貧困」「見えない貧困」を綿密に取材した良書である。 ここ10年に渡る若者バッシング&自己責任論が、若者たちに何を植え付けたのか。その中で雇用と貧困が誰にとって都合よく使われ、どれほど多くの金と労働と生活と自尊心と命を奪ってきたのか、まざまざと見せ付けられる。
世間では景気回復が言われ、確かに東京の駅前からもホームレスは格段に減った。でも、それじゃどうしてこんなに私たちは貧しく不幸なのか? 一体どこの景気が良いのか? その疑問に対する答えのひとつが、本書にはある。

一方で重要だと思うのは、本書が単に現状の悲惨さだけを描いて終わっていないことだ。過酷な現実を直視しつつ、ついに反撃を始めた若者たちの新たな流れにも着目しており、WEBで話題になっている(と思う)高円寺ニート組合などについても紹介している。
多くのプレカリアート(非正規雇用者・失業者)にとって、本書は絶大な共感書であり、応援歌でありうると思う。
「生き残る」という言葉が、こんなにもリアルになってしまった今の日本社会で、自殺未遂を繰り返してきた著者の「生きさせろ」は、先進国にあっても心から実感のこもった言葉だ。
今年4月に行われた「自由と生存のメーデー」で、著者は先頭に立ってシュプレヒコールをあげていた。「マックは自給を上げろ!夜中にマック難民を追い出すな!」「身分証の提示を求めるな!免許書も保険証もないぞ!!」主張というよりは悲痛な叫びとも取れる言葉を、彼女は延々と放ち続ける。その切実さに心を打たれた。

それで本書の内容とは別に考えたのは、弱者が更なる弱者の労働を消費せざるを得ないということで、例えば日本で低所得であればあるほど、ファーストフードや低価格商品を利用せざるを得ない。そのファーストフードと低価格商品を支えているのは、日本で働く膨大な数の非正規雇用者と、いわゆる発展途上国の人々である。
グローバリゼーションの中で、富める物は国境を越えた搾取によって国内外からあらゆるものを奪って富を増大させ、貧困者は国境を越えて搾取され続ける。解決の糸口はどこにあるのかと呆然としながら、それでも反撃を始めた若者たちの叫び声に、一縷の望みを託したいと思う。

<参考>
【自由と生存のメーデー】
http://www.youtube.com/watch?v=ebbEXlWBJXA
http://www.youtube.com/watch?v=KldULollcgs
http://www.youtube.com/watch?v=oBCxH5kGZ_s
【反貧困キャンペーン】
http://www.janjan.jp/living/0706/0706086912/1.php
【松本哉 選挙活動】
http://www.youtube.com/watch?v=dNstmvH0Bm0


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