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10万人の署名 [死刑制度]

ニュース的な話題を微妙に遅れて取り上げるのが、当ブログの方針です。
いや、単に考えをまとめるのが遅いだけですが。

さて、表題の「10万人の署名」との言葉から思い出されるのはどんな署名活動だろうか?
私としては二つある。
まず一つは、自殺対策基本法の成立を求める署名だ。
自死遺族やNPOが主催して、昨年4月17日から1ヶ月間行われた。当初は3万人(年間自殺者数)を目標に掲げていたが、予想外に多くの署名が集まり、「自殺者が出てほしくない、死んで欲しくない」との思いが10万人から寄せられた。
そしてもう一つは、名古屋市で女性が殺害された事件での「死刑判決を求める署名活動」だ。
こちらは遺族が呼びかけ、急速に賛同の声が広がって、10日の短期間で「極悪人を殺せ」との思いが10万人以上から集まっている。

改めてこうして「二つの10万人署名」を文章に起こすと、とてつもない悲しさが襲って来る。情報としてはどちらも知っていたのに、自分で書いてみてちょっと呆然とするものがある。
どちらが優れているとか、良いとか悪いとか、そういう「評価」をするつもりは毛頭無い。死刑要求に署名した人々も、もちろん被害者の死を悼んでいるだろうし、二度とこのような犯罪が起こって欲しくないという「死なないで」の思いが込められてもいるだろう。
けれど、自殺者を悼む気持ちは他人への加害には繋がらない。「自殺対策を望む社会」は、むしろ寛容な社会に繋がるだろうと私は考えている。
だから、この「自殺対策を求める10万人」と「死刑を求める10万人」の図からは、どうしても社会が大きく引き裂かれて行く印象を受ける。

被害者遺族が死刑を求めるのは自由だし、署名活動をするのも、もちろん自由だ。それが少しでも遺族感情を癒し、和らげるのかも知れないとも思う。
しかし、まだ一審判決どころか裁判も始まっていない(事実関係が明らかでない)時点で、事件とは無関係の人々から10万もの「殺せ署名」が集まったことには問題を感じるし、恐怖を覚える。もしも冤罪だったらどうするのか。冤罪ではないにせよ、裁判が進むに連れて事実関係に疑問が出てきたらどうするのか。この問答無用の暴力性は一体なんだ。
「一人殺したくらいじゃ死刑にならん司法なんてオカシイ!」との思いが、この署名活動を支えているだろう。しかし、であるならそれこそ、個別事件の事実関係を無視して「死刑推進のために裁判を利用している」のではないか。遺族が、ではなく「10万人」が、である。
光市事件の弁護団に「死刑を廃止したいなら法廷外で訴えろ!」と言う人々が、自分が死刑を推進しようとするときには、個別の裁判を利用するのか。(しつこく補足するが、光市事件の弁護活動自体は死刑廃止運動ではない
また、左派っぽいスタンスで、戦争反対などを訴えている「きっこのブログ」が、この署名活動を全面的に応援し、他の死刑事件についても積極的な「死刑推進派」であることにも矛盾を感じる。
この二点については既に他のブログも指摘されているので、宜しければご参照頂きたい。
◆署名運動
◆磯谷利恵さん殺害事件について思うこと
◆「皆で殺せば怖くない」か…
◆敢えてこの3人の早期釈放を訴える(笑)
◆きっこさん、「死刑廃止論を廃止しろ!」について再考をお願いします
◆きっこのブログと大谷昭宏ら

さて一方で、私には最近、どうしても納得行かないことがある。
確かに殺人は悲惨な被害者遺族を生む。その気持ちは察するに余りあるものがあるし、経済的にも社会的にも、まだまだ彼・彼女らは虐げられた存在だろう。
しかし、では加害者の家族はどうなのか。小泉チルドレンの一人である井脇ノブ子議員(ピンクスーツのあの人)は兄が殺人容疑で逮捕され、そのためにありとあらゆる差別を受け、いじめられ、修学旅行にも「兄が人殺しだから」と参加を拒まれ、裁判費用を稼ぐために家も財産も売り払い、小学生だったノブ子さん始めこどもたちも働き、それでも生活が困窮して一家心中を試み、寸前のところで近所の人に止められた。
ところが、実はこれは冤罪だったことが後に判明するのだ。
(鈴木邦夫「今週の主張377 -事件に巻き込まれ、一家心中…そして」を参照のこと)
彼女の政治的主張は私とまったく相容れないが、彼女の経験には深く思いを馳せる。

日本では多くの人が「加害者の家族も同罪」と考えている。オウム事件の際にも、教祖のこどもたちが住民票の受付を拒否されたり、入学を断られるといった事態が頻発した。死刑囚の親族が村八分にあって自殺したケースも少なくない。
これは果たして「当然の報い」だろうか?
森達也と森巣博の共著「ご臨終メディア」に、こんなエピソードが紹介されている。
*************************
 アメリカで少年たちが学校で銃を乱射して、クラスメートを殺害する事件が続いた時期がありました。アメリカにも少年法があり、その子供たちにも少年法が適用される。しかしこのときは、あまりに悪質な事件で社会性も大きいとの判断で、一部のメディアは少年たちの顔や名前を公表しました。その結果、アメリカ全土からその加害少年の家族宛に手紙が殺到しました。
 その母親のインタビューがTBSの『ニュース23』で紹介されたのだけど、段ボール3箱分のその手紙のすべてが、母親への激励だったそうです。「うちの息子も昔は悪かったけど今は立派に更正した」とか、「今がいちばんつらいだろうけど、がんばってくれ」とかの内容なんです。

*************************
イラク戦争であれほど盛り上がったアメリカですら、加害者の家族とこんな風に向き合うのだ。親族から犯罪者が出れば、家族もろとも路頭に迷う日本とは大きな違いである。
仮に日本が、このエピソードのように加害者家族と向き合ったとして。それでも死刑制度があれば、死刑が宣告されれば、加害者家族は自分の家族を奪われてしまう。
家族を奪われた被害者遺族のために、加害者家族から家族を奪うことが「目には目を」なのだろうか。悲惨な被害者遺族を救うために、悲惨な加害者遺族を産むことが許されるのだろうか。
周囲の悲劇まで含めて「応報」だと、日本社会は言うつもりなのか。


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コメント 8

suyap

こんにちは、素晴らしい記事とTBありがとうございました。

実はわたしもこの10万人署名(名古屋の事件のほう)を見て悶々としておりました。日本の事件に疎いので最初は事件が起きたのは数年前だろうくらいに思っていたのですが、つい1ヶ月半前だと知ったときはショックでした。ご遺族としてはまだ突然の喪失感と怒りの処理もできてないであろうのに、こういう運動に没頭することで(言葉は適切でないかもしれませんが)誤魔化そうとしておられる...まわりもそう仕向ける...その姿が哀れです。

昔の仇討ちは個人の問題として認められてはいても社会的には罰せられました。それを今の日本社会では、他人の仇討ちを国家がやることにこんなに賛同者が集まる...思考の幼稚化と扇動の行き着く先を思うと、ぞっとします。
by suyap (2007-10-06 18:01) 

円

私の下手くそなブログ記事をご紹介いただき、ありがとうございます。

アメリカのエピソードには驚きました。
日本と大違いですね。
聞くところによると、事件が起きたら、加害者宅にはもちろん、被害者宅にもいやがらせの電話や手紙が山ほどあるそうです。
どうしてこんな違いが生じるのでしょうか。
不思議です。
by 円 (2007-10-06 20:14) 

しろのぽ

何か私の中でも、鮮やかにつながるものがありました。

犯罪を犯した少年の親も市中引き回し、などと放言した政治家が、今も首相の座をうかがう位置にある社会ですからね。
他人への想像力と薄っぺらい同情をはき違え、(社会的)弱者を貶めることで自分の地位を確認している、そんな幼稚さが蔓延しているようでぞっとします。
by しろのぽ (2007-10-06 21:58) 

sasakich

>suyapさん
来訪&コメントありがとうございます。
ご遺族本人が、家族を理不尽に失った直後にせよ期間が経っているにせよ、こうした気持ちを持たれること自体はあることですし、それが救いに繋がるかどうか私には判断がつきません。
ただ、それを周囲が、特に被害者とも遺族ともまったく関わりの無い周囲が、ここまで無条件にバックアップするのはどうかと思います。怖いです。

>円さん
いや、下手くそだなんて(笑)
私もアメリカのエピソードを聞いたときは驚きました。日本では被害者への批判・嫌がらせも耐えないし、和歌山カレーのときは、家中に落書きをされて最終的に放火されるほど「悪い奴には何やってもいい」って感じでしたから。
この違いの背景になにがあるのか、私も興味深いです。

>しろのぽさん
この前、テレビでコメンテーターが「市中引き回し」と言ってて、昔はかろうじて問題発言になったのに、今はそれが普通の(許容される)発想なんだろうか‥‥と暗い気持ちになりました。まぁ、政治家が言うのとコメンテーターが言うのでは意味が違うかもしれませんが。
「弱者を貶めることで自分の地位を確認している」というのは、本当に仰るとおりだと思います。
逆に言えば、みんなそんなことをしないと自信が持てないんですかね?
それもまた悲しい話です。
by sasakich (2007-10-08 00:27) 

天性の庇護者

悪いものを退治することによって自分の価値を高めようとする。まデスノの月くんのような、頭はいいが基本的に屈折している人間が多いんですよ。

そもそも夜神月はいわれている。ミヤに。「僕にしてみたら、金のために殺人している人のほうがよっぽど人間的だと思いますけどね。あなたの場合はいいことをしているといった誤解がありますが、僕からしてみたらもっとも異常な殺人鬼ですよ。」

まあ、最初共感していた月に。でもさ、結局デスノのいいたいことは

どんなに悪いやつでも無関係の人間が裁くとかいう考えは傲慢他ならないってことやな。夜神月は高校生だから、割と若いやつの正義感ってやつはああいった暴走系が多いんでしょうな。

だいたい目的のために女利用している月が正義なわけないやん。そこらへんがわかってないよ。

いいことやってるって勘違いがはなはだしいね。

これから、被害者支援系が弁護団系とアンチ天ラブ系との泥仕合がおこなわれていくだろう。そこで残るのはいろんな痛みのみだと思う。すでに誹謗中傷合戦が水面下で起きている。

私はそこには混じりたくありませんね。被害者を攻撃したり、逆に弁護団攻撃したり無関係な人間がどうして泥仕合にしていくのさ。アホくさ。
by 天性の庇護者 (2007-10-09 18:51) 

sasakich

天性の庇護者さん

>悪いものを退治することによって自分の価値を高めようとする。
本当にそんな感じです。「遺族の気持ちを思えば」って言う人ほど、自分に都合の悪い被害者は見ないか批判するものです。以前、どこかのブログで本村さんと河野さんの主張がまったく違うことについて「でも河野さんは遺族じゃない」と、奥様が存命であることを理由に「取りに足らない意見」のように扱っていて仰天したものです。
「遺族が」って言う人が、被害そのものに対して同情しているのではなく、単に自分にとって都合の良い、自分の「正義」と噛み合うから応援(というか利用)してるだけなんだと痛感しました。
by sasakich (2007-10-09 23:27) 

天性の庇護者

ある意味生きてあんな状態の方が大変なんだけどな。特に宮崎哲弥は小林よしのりに批判されていたからな。死ななきゃそれでいいってわけじゃないってね。「生きてるから価値がある」っていう奴ほど詭弁ですね。それを言う奴に障碍のつらさを味わって欲しい物ですわ。
そもそも死んでいる人ではなく
残された人のが気の毒っていう考えかたも変。
そら第一被害者は仏さんでしょ。死んでない場合は河野さんの奥さんかな。でそれの被害者ってのは

まあ、そんなことよりも、本村さんは本当に悲しんでいるのか?天ラブで話題になってるんですけど、わからん。ま、生前に愛していたかはわからん。今じゃね。だってさ、人間の気持ちなんてわからん。だから橋下のコメントは全く無意味。つか気の毒な被害者よそおう奴がいるから秋田の事件みたいなんおこるんと違うか?

基本的に警察官はあんなアホみたいなこといわん。遺族のためにとか考えてたらそれこそ真犯人みうしなうやん。

捜査ってのは固定観念を取り払う事。世間様なんてだませるから警察が機能するんじゃないの?世間世間って世間に媚びるんじゃない銭ゲバっていってやりたいですな。世間が犯罪の協力になる場合もあるが、世間だけで決める事ができたら警察いらん。

ああいったバカが多数いるから世の中おかしくなるんだよ。目で見てないことにそこまで怒れる連中ってすごいな。
by 天性の庇護者 (2007-10-10 00:07) 

ayu15

はじめまして。
同じ署名でも意味合いちがうんですねえ。

死刑制度廃止がいいか別にして、まだ終わってもいない裁判で、「死刑にしろ!」はおかしいですよね。
by ayu15 (2008-02-03 22:05) 

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