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自滅するメディア(前編) [メディア]

裁判員制度を控え、メディア報道への懸念が論じられているようだ。
◆ついに・・・マスコミの事件報道のあり方に最高裁参事官もクレーム
個人的には、報道の自由の観点からメディア規制には慎重であるべきだと考えている。その理由は後編で述べる。ただ正直言って、現状でマスメディアが行っている事件報道の数々、特に光市事件の報道などを見れば「自業自得」の言葉しか思い浮かばない。

<光市事件報道について>
うちは今、金銭的な理由でテレビも新聞も無いのだけど、ネットで確認したところによれば、光市事件について未だに「死刑廃止運動を裁判に利用し云々」の前提で語られるケースがあるようだ。
◆スーパーモーニング女性司会者の不勉強と女性セブン取材記者の誠意
◆光市弁護団と死刑廃止論
「誰か教えてやる奴はおらんのかな」とモトケンさんは嘆いて(?)いらっしゃるが、教えている人は山ほどいるだろうと推察される。少なくとも私自身、同番組が21日に放送した内容をネットで確認し、いくら何でもあんまりだったので、抗議メールを出している。
それが23日のことだが、モトケンさんの問題とされている放送はそれ以降だ。

21日のサンプロでは、元最高検の土本武司氏の発言をVTRで紹介し、それを全面的に後押しする内容だった。概要は以下の通り。
1.弁護側は、最近判明した冤罪事件で取り調べの違法性が注目されたことを受け、世論を利用する形で「検察の取調べに問題があった」と主張し始めたのではないか
2.自らの死刑廃止論、死刑廃止運動に裁判を利用している
この前提はいずれも間違っている。
まず、そもそも最高裁の時点で既に「検察によって事件が(事実とは異なる内容に)作り上げられた」との主張が弁護側から出てきている。弁護人が有能な預言者でも無い限り、その後に判明した冤罪事件を予見して「取調べの違法性が世間で話題になるから利用してやろうぜ!」と画策することは不可能だ。
そして死刑廃止運動云々に関しては、もう何回説明すれば良いやらという感じだが、とにかくそんな事実は無い。疑問のある方は過去エントリーをコメントも含めて参照いただきたい。
21日の放送を私がとても卑怯だと思うのは、こうした主張を「番組の視点」ではなく、あくまで「専門家の一意見」を装って流していることだ。番組としては、いかに誤りがあっても「うちらが言ったんじゃなくて土本さんの私見ですから」と答えるのだろう。
しかし同番組では、土本氏への反論・疑問はまったく差し挟まれていないばかりか、フリップを出して冤罪利用説を後押しし、司会者が「死刑存廃の議論は法廷の外でやるべき」との趣旨で発言しており、明らかに番組自体が土本氏の意見を是認している。
一方で弁護団の会見内容は今枝弁護士の泣き顔を写すばかりで、何で泣いたのかも、っていうかそもそも記者会見の主要な内容はなんだったのかも、ほとんど伝えていない。

「冤罪利用説」も「死刑廃止運動説」も、今までの弁護側主張を概要だけでも知り、記憶していれば、わりとトンデモな主張だとすぐに感じるだろう。そして、それらの情報は別に困難な取材をしなくても、弁護側の出す文書や記者会見での主張内容といった「公表されている情報」にアクセスするだけで確認可能だ。
メディアが純粋に勘違いしているとは思えないわけで、明らかに「意図的に」誤解を招く報道を続けているのだ。もし仮に、万一、本当に純粋な勘違いであるなら、最低限の取材・事実確認すら怠っていることになる。


<感情の発露は重要か>
話は前後するが、この番組に限らず、「会見で涙する弁護人の図」が繰り返し流されるのにも疑問を感じる。そんなことは本当に重要なのか。少なくとも裁判には関係ないだろう。
「涙」に象徴されるような感情発露に過剰反応するのは、非常ににテレビ(映像)的な報道だ。なにを言っているか、よりも、どんな口調・表情で言っているかというディティールが重視される。被告人や弁護人について「ふてぶてしい」「涙を見せた」などが繰り返し取りざたされるのは、そのためだ。
橋下弁護士はその辺の自己演出が上手いから、あれだけ「人気者」だとも言える。

しかし、これは何も被告人・弁護側の報道に限った話ではない。被害者遺族の会見であっても、目が潤んでくると、涙がこぼれるのを今か今かと待ち構える記者たちの様子が手に取るように分かる。その間、記者たちは遺族の話しなんて聞いちゃいないんじゃないのか。
そして涙がこぼれた瞬間、シャッターチャンス!とばかりに、目がくらみそうなほどフラッシュの嵐が起こる。それで遺族は「自分が泣いてしまった」ことにハッとして、動揺のあまり更に泣いてしまうか、気丈に振舞おうとして感情を押し殺す。あらゆる事件報道で繰り返し見てきた映像だ。
あの、人の一番弱い瞬間に向けられるフラッシュの嵐を見る度、私は「一体どの口が遺族感情云々を言ってんだ」と思わずにいられない。
確かに感情は大切だろう。しかし、もっと大切なのは「泣くほどの感情」を持った人々が、一体なにを思い、なにを訴えているかではないのか。こうした遺族への扱いが、遺族を「感情だけで発言する人々」に貶めてしまってはいないか。
当初は感情を表に出すこともあった本村さんが、次第に理路整然と論理的な発言をするようになった背景に、「遺族の意見」より「遺族の感情」を重視する報道姿勢が影響していないと言えるだろうか。私には本村さんの発言内容や態度・頻度が、メディア情況に合わせて「自主規制」されているように思えてならない。

<関連>
最高裁刑事局総括参事官が自白報道による予断を懸念~その前に懸念を表明するべきは…
裁判員制度と犯罪報道の関係
裁判員制度と犯罪報道の関係2:最高裁、予断報道を懸念


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今枝仁

TBありがとうございます。
いつも参考にさせて頂いています。
これからもよろしくお願いします。
by 今枝仁 (2007-09-30 20:08) 

sasakich

今枝さん

わざわざコメントありがとうございます。
好き勝手なことを書き散らしている当ブログですが、これからもよろしくお願いします。
by sasakich (2007-10-01 20:18) 

瀬尾

番組が自分の主張を専門家の意見として紹介するのは本件に限らずよくあることですよね。実は(この件はどうか知りませんが)聞かれた専門家のほうも、編集を見て「はぁ??」って思うこと、よくあるんです。自分が言ったことと違う。変なところを切り貼りしてまるで別の意見を作り上げてたりするんです。あるいは、本来の主張とは関係ないところだけを切り取っていたり。だから大学の教員でもメディアの取材に簡単に応じる人はちょっと人がいいというか脇が甘いと見られることがあります。

ところで、マスメディアの報道が酷いのはこの件に限ったことではないです。私は経済学者ですが、たとえば昨今の「格差」の報道なんかほんとでたらめです。実は数字を見ますと格差って拡大していないんです。正確にいうとジニ係数に表れる格差はやや拡大傾向にはありますが、世代内の格差も世代間の格差も開いていない。つまりジニ係数は世代の人数の変化による変化を映しているだけなんですね。赤ちゃんは格差ゼロで生まれて、それから育つにしたがって運や努力にしたがって所得は変わりますので、大人の比率が高くなればどうしても統計上の格差は開きます。それなのに、マスコミが作り上げる格差論バブルは酷い。この報道を規制せずに、現実に(TVだけを見ている人にも)選挙権があるわけですから、裁判員制度で報道を規制するのは現実問題として無理かと思います。
by 瀬尾 (2007-10-02 12:18) 

sasakich

瀬尾さん

確かにTVインタビューは「1時間撮影して使うの1分」って世界ですからね。
ある意味では、局側がいくらでも「番組にとって都合の良い部分」「視聴率の取れる面白い部分」を選べてしまうわけで、それを「一意見として紹介しただけ」ってのはやはり問題と思います。

格差報道については、私は瀬尾さんとはちょっと違う意味で憤りを覚えます。
問題は格「差」があるかどうかではなく、経済格差の「最底辺」が生きていけるレベルの「下」なのか(貧困が起こっていないのか)だと思います。ネカフェ難民が出たり餓死者が出たりと、「貧困」は明らかに起こっていますから、「努力できなくて運が悪かったら死ぬ社会」で良いのか、って視点から報道すべきだと思いますね。
by sasakich (2007-10-02 16:16) 

どん

「そこまで言って委員会」の会議室の議論、とても面白い!!

http://www.ytv.co.jp/takajin/bbs/bbs_res.php?bbs=BBS3&thread=1934
by どん (2007-10-02 18:52) 

sasakich

どんさん

来訪&コメントありがとうございます。
会議室は私もときどき見てます。参加する元気はありませんけど。
すちゅわーですさんが大活躍ですね。日常生活に支障がないか心配なレベルです。
by sasakich (2007-10-03 01:03) 

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