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「信じる」という不合理な行為の可能性 -今枝ブログによせて- [総論]

光市事件の弁護人の一人である今枝弁護士のブログは盛況だ。まだ開設して数日にも拘らず、記事によってはコメント数が上限の100を超えているものもいくつかある。厳しい文字数制限のために長文を分割して投稿している面があるにせよ、賑わっていることは間違いない。
その中で、とても感動的な事態が起こっている。
遺族感情や「世間」を理由に弁護団(と管理人である今枝弁護士)に批判を重ね、周囲がいくら反論しても耳を課さないように見えていた投稿者の態度が、変わり始めているのだ。
当初、彼(彼女かも知れないが)はブログにあげられた資料=弁護団の提出した事実をニュートラルに検討することをほとんどせず、「事実がどうだろうと、世間も被害者も許さないんだから当然死刑」という態度に見えた。
周囲の人々が弁護団の主張をいくら丁寧に説明しようとも、また司法制度・弁護士の役割を説明しようとも、理屈はともかく許せんもんは許せん!という頑なな態度に見えた。

私は正直、さっさと削除して投稿を制限してしまえばいいと思っていた。
こういう人はいわゆるガチの人であって、説得になど応じないし、事実になんて興味は無いし、例えいかに反論が適切であっても、自分の正義・信念を曲げない。相手が非を認めて「私が悪うございました」と述べるまで、身勝手な批判を繰り返すだろうと感じていたからだ。
ところが事態は変わりつつある。
弁護団の主張に対し疑問を投げかけ、批判的であることは今も変わらない。しかし、その態度は以前のようなものではなく、弁護団の主張に対する素直な疑問へと変容している。つまり私から見れば「マトモな批判」に変わって来ているのだ。
これについて、今枝弁護士も、一時は彼(または彼女)と激しいやり取りを繰り返していたモトケンさんも、率直な喜びをコメントしている。

私はここに、いわゆる「囚人のジレンマ」にも通じる「信頼」の問題に対して、深い示唆を勝手に読み取る。
人を信じることはとても不合理だ。なぜなら、人は裏切る。それは決して珍しいことではない。相手が変わってくれることを信じ、いくら真摯に説得しようとも、そんな期待はいくらでも裏切られる。
だから、自分の利益を合理的に追求すれば、裏切るかも知れない相手など信じず、その存在を排除してリスクを減らすほうが合理的だ。相手を信じて裏切られたときの不利益は、決して小さくない。
しかし、一方で「信じない」という合理的な選択は、人々を互いに疑心暗鬼にさせ、排他的にさせ、常に裏切りと排除の恐怖にさいなまれる不利益を生む。
そこから抜け出すためには、あえて「信じる」という極めて不合理な選択をするしかない。
もちろん、裏切られるかも知れない。でも、裏切られないかも知れない。どちらにも確証は無い。
もしも、互いに裏切るかも知れない存在である私たちの、双方に幸福が訪れるとすれば、それは人々が互いを信じ、現に裏切られない、という性善説としか言いようの無い「お気楽」な情況でしか成立しない。
しかし、その「お気楽」な情況もまた、現に生まれることがある。

※黒文字部分の「」は私の主観であり、実際のコメントを引用しているわけではありません。


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コメント 5

愚樵

的外れなコメントですが。

幸福なんてものは、奪い合っても手に入らない。与え合うとなぜか手に入る。与えるには相手への信頼が必要だが、信頼はすぐには成立しない。時間がかかる。時間がかかるということは忍耐が要るということ。決してお気楽に出来上がるものではない。

幸福も、それから信頼も、作るものではなく育てるもの。時間をかけて育むもの。今枝弁護士やその周辺の人たちの忍耐がそれを育みつつあるのでしょう。

それお気楽とされたのでは、今枝さんたちが気の毒です。
by 愚樵 (2007-09-25 12:25) 

sasakich

愚樵さん

コメントありがとうございます。
お体はもう大丈夫でしょうか?

>幸福も、それから信頼も、作るものではなく育てるもの。
その通りだと思います。

>それお気楽とされたのでは、今枝さんたちが気の毒です。
決して今枝さんや諸所の方々の説得が、気楽で簡単なものだと思っているわけではありません。むしろ私には到底不可能な、困難で厳しい選択だと思います。
「人々が互いを信じ、現に裏切られない」ことを信じる態度が私には極めて難しいからこそ、それを信じられるという、ある種突き抜けた「人間全体への信頼」の「突き抜け方」としてこの言葉を使いました。
誤解を与える表現だったようですみません。
by sasakich (2007-09-25 12:55) 

愚樵

>誤解を与える表現だったようですみません

いえいえ、とんでもございません。誤解を与えるような表現は私だって常習犯です(^_^;)

記事全体の文脈からみれば、お気楽という言葉が決して今枝さんたちへの非難の意味でなかったことは充分伺えることです。ただ、どうも「お気楽」という言葉が浮いているような気がしたんですよね。それで突っ込んでみましたσ(^◇^;)

そうですね、そうしたときは「」を付けてみればよかったのではないですか? そうすれば比喩として「お気楽」という言葉を使ったということは少なくともわかりますから。

人に偉そうに言える資格がない、文章下手の愚樵でした。
by 愚樵 (2007-09-25 15:13) 

今枝仁

TBから読ませて頂きました。
このような感想を持って頂ける方が1人でも2人でもいるということは、勇気付けられます。
私は、高校を中退し、極度の人間不信から立ち直って成長してきました。
どんな相手であっても、人間の本性は善であろう、そうでないように見えても人間を信じてみよう、そして裏切られても信じてみよう、そう思っています。
by 今枝仁 (2007-09-26 09:13) 

sasakich

>愚樵さん

ご指摘通り、訂正しました!
ご教示ありがとうございます。

>今枝さん

おっと、ご本人登場ですね(笑)
エントリー閲覧の上コメントまで頂き、ありがとうございます。
脅迫等にさらされる中、ご多忙も重なって大変だと思いますが、理解を示す人々もいることをどうか忘れないでください。そして、くれぐれもお体をご自愛ください。
by sasakich (2007-09-26 14:55) 

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