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「死刑廃止は正しいから裁判を利用してもかまわない」のか? [死刑制度]

昨日は友人と飲みに行って、最後のほうで少しだけ光市事件の話になった。ちなみに私も友人も、死刑廃止を望んでいる。
で、マスメディア報道からの情報しか得ていない友人が「死刑廃止は正しいことなんだから、それを裁判で訴えてなにが悪いの?」と言ったのを聞いて、なるほどそういう考え方もあるのかと驚いた。
更に今日はこんなブログも見つけた。
「光市母子殺人事件の裁判報道~弁護団はほんとに悪か? 」
冒頭に「法廷をイデオロギー闘争の場にしてると言うけど、現に死刑になろうとしている(なるかもしれない)人の裁判でイデオロギーに従うのはいけないんでしょうか?。 これこそまさに闘争の最前線じゃないのでしょうか?」とあり、彼もまた、弁護団が死刑廃止運動に裁判を利用しているとの視点に立った上で、弁護団を援護している。

まず前提として、光市事件の弁護団が、この裁判を死刑廃止運動に利用している、というのは事実誤認である。
参加している弁護士22人の死刑に対する考え方は多様であり、全員が死刑廃止論者ではない。
また、本件において弁護団は「死刑が違憲である」といった死刑制度自体を否定する主張はしておらず、あくまでも死刑のある現行法を前提として、死刑のある現行法の基準において、本件は死刑に相当しないと主張しているに過ぎない。
だから、今回の裁判に対して「思想のために裁判を利用することの是非」を語ること自体が無意味だ。思想のために裁判を利用している事実が無いのだから。

それを踏まえた上で、じゃあ本当に死刑廃止論者が廃止運動という「(主観的には)正しいこと」のために裁判を利用したとして、それは許されるだろうか。
弁護人が法廷で死刑廃止を訴えることが許されるケースがあるとすれば、被告人自信が死刑廃止論者であり、被告人自信が死刑廃止を法廷で訴えてくれるよう、弁護人に望んだときのみである。例えば「私は確かに現行法では死刑に相当することをやったが、そもそも死刑制度自体が違憲なのだから、死刑判決は妥当ではない」と被告人が主張するときなどだ。
ちなみに、その場合は弁護人が個人的に死刑廃止論者であろうと存置論者であろうと、「死刑制度は違憲」との主張をすることが職責である。
被告人の意見を無視し、弁護人が自らの思想に走った主張をすることは、例えその主張が「世界平和」であろうと「貧困の撲滅」であろうと、思想内容を問わず、被告人への誠実義務違反として弁護人失格と言うしかない。
だから、「弁護団が死刑廃止運動のために裁判を利用し、被告人に荒唐無稽な証言を押し付けて裁判を捻じ曲げようとしている」と吹聴されている光市事件の弁護団に対して、その前提を信じる人々が非難を浴びせるのは当然だし、(その前提が事実である場合には)正当な批判である。

弁護人はまず何よりも被告人の権利を守る仕事であって、個人的なイデオロギーは、社会運動なり政治的な場ですれば良い。少なくとも、(被告人の意に反して)法廷ですることは許されない。
刑事裁判はことによると被告人の生涯が決まる場であって、ましてや死刑事件なら生死を左右する場だ。その中で、被告人の存在を無視し、自らの主張を行うことは、結果的にその主張(例えば死刑回避)が被告人の利益に繋がるとしても許容できるものではない。
その思想が真に「正義」であったとしても、正義のために個人の人生をないがしろにすることは、弁護士業務としても、人間的な倫理としても、決して許されるべきことではないだろう。
私自身は死刑廃止論者だが、被告人の意に反して死刑違憲を主張するような弁護士がもし出てくることがあれば、それについては大いに反論する。


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ナーランダファン

こんばんは。

犯罪被害者権力を打倒して死刑廃止のために戦いましょう!
by ナーランダファン (2007-09-20 22:21) 

sasakich

ナーランダファンさん

訪問&コメントありがとうございます。
私は「犯罪被害者権力」が存在するという価値観を共有できません。
ブログを拝見させて頂きましたが、少なくとも当ブログにて被害者(遺族)を侮辱するような発言はお控えください。
by sasakich (2007-09-20 22:30) 

通りすがり

「光市事件の弁護団が、この裁判を死刑廃止運動に利用している、というのは事実誤認である。」
これは事実ですか?証明できるんでしょうね?
誰かが言ってたとか、どこかで読んだとか、そういう事ではないでしょうね?
ブログだから日記だからと、なんでも簡単に書いてしまってはいないでしょうね?
by 通りすがり (2007-09-21 16:33) 

sasakich

通りすがりさん

来訪&コメントありがとうございます。
通常、政治運動にしろ市民運動にしろ、それをするためには構成員の全員が(少なくとも運動の目的においては)一致した思想であることが前提です。例えば「核武装論者のいる核廃絶運動」はあり得ないわけです。
その点から言えば、今回は弁護人の中に死刑存置論者がいる以上、「死刑廃止運動」とは言えないでしょう。

通りすがりさんが「裁判を死刑廃止運動に利用てしている」という前提にもし立っておられるなら、それはテレビで見たとか、なにかで読んだとか、本人(弁護団)以外の誰かが言っていたとか、そういうことではないんですよね?
by sasakich (2007-09-21 18:09) 

メイ

こんにちわ。
私も死刑廃止には賛成です。
でも、身近な人を殺された人は
被疑者に死んでもらいたい
あの人の苦しみを味合わせてやりたい
そんな気持ちで死刑を望むでしょう

死刑は国民の犯す罪です。
しかし、その意識がないように感じられます。
命に値段はありません。
みな、同じように父と母がいた。

だから、死刑はいけないと思うけど
その被害者家族のケアや
マスコミ報道のあり方
被疑者をどうするか
いろいろ考えなければいけません。

しかし、私にしてみれば
私も、他の人間も狂っているのです
自分という名の自我を持ち
自分という名の心を持つ
すべて違います

すべてを考えなければ
”命”の問題は
解決されません
by メイ (2007-09-28 18:19) 

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