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長勢大臣への手紙 [死刑制度]

アムネスティによれば、近々、死刑が執行される可能性が高まっているようだ。
こういう「もうすぐ死刑が執行されるらしいぞ」との情報が何を根拠にしていて、どうやって流れてくるのかいつも不思議なのだけど、今回はその根拠についていくつか思い当たるところがある。
まず一つには、一部情報によると、長勢大臣が「在任中に10人の死刑を執行する」と宣言していることだ。一方、前回の選挙結果を受けて安部首相は人心一新を宣言しており、長勢大臣も職を辞する可能性が高い。とすれば、それまで(つまり今月中)にあと3人の死刑を執行しなければ「目標達成」とならない。
こうした背景が、「もうすぐ死刑が執行されるらしい」との情報に繋がっているのではないか。

私はもとより死刑制度に反対だが、存置が仕方ないとしても、一時的な政権の都合や勝手な「人生目標」で命が奪われる事などあってはならない。
この事態を受けてアムネスティは、大臣に執行停止を求めるメッセージを送るよう呼びかけている。
【死刑執行危機 近日中の死刑執行が危惧されています。】

というわけで、微力ながら私も大臣にメールした。以下がその内容である。
(文中のリンクは、ブログ転載のために追加したもの。「」部分はホームページにおける長勢大臣の発言を引用したもの)

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法務大臣 長勢甚遠様

厳しい選挙結果を受け、心中をお察しいたします。
ホームページで長勢大臣の政策、またお考えについて、遅まきながら勉強させて頂きました。学生時代から、なにが正しい事なのか、自分はどう生きるべきかを深く考察されてきたのだと知り、大臣の実直さに感銘を受けているところです。

さて、安部総理は人心一新を宣言され、ほとんどの大臣が交代か、との見方も世間では広がりつつあるようです。仮に長勢議員が法務大臣の職を辞されるのであれば、今こそ、法務大臣にとっての重責である死刑執行について、深くお考えの事と推察いたします。
大臣が「"まっすぐの"人生を生きる -子供のころから変わらぬ信条-」で仰るように、人間には真理は分かりません。だからこそ「時流に流されず自分で考える」ことや「自分で考え、正しいと感ずることを命がけで行う」ことだけが、真に正しい道をまっすぐ歩むための道しるべであると存じます。
しかし、真理を知りえない人間という存在が、天から与えられた他人の生命を奪う事は許されるでしょうか。死刑執行において、大臣が「崖に落ちることを覚悟して後ろ向きに」進まれた結果によって、崖に落ちるのは、皮肉な事に大臣ご本人ではありません。そこで失われるのは、言うまでもなく死刑囚の命です。「自分で考え、正しいと感ずることを命がけで」行われるとき、その正しい事が死刑執行であるならば、命をかけているのは大臣ではなく死刑囚なのです。

いずれの人生観も、ご自身への戒めとしては大変に謙虚で、ご尊敬申し上げるところです。
しかし、その決意によって損なわれるのが、大臣ご自身ではなく他人の命のであるとき、その命をかける事は許されるでしょうか。「生きている以上は正しい」との論理が、死刑囚は死んだのだから正しくないと他人の命に介在することは許されるでしょうか。
なぜ大臣のような慈悲深い方が、7人もの命を奪うという判断をなさったのか、私にはどうしても理解できません。

現行法について、それを遂行するだけが法務大臣の職務ではありません。
長勢議員が法務大臣としての職務を全うされる事を、心よりお祈り申し上げます。
また、大臣の賢明なご判断により、死刑が執行されないことを信じます。

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かなり「ほめ殺し」の文章で申し訳ない。
もちろん「死刑は残虐だ」「執行するな」と呼びかけることは大切だが、大量の死刑執行を国のためと信じて疑わないであろう長勢大臣に、どんな言葉なら届くのかを私なりに考えた結果である。
大臣の退陣まで、今後も引き続きメールして行きたいと思う。

<関連>
緊急アピール協力お願い:長勢法務大臣、死刑を執行しないでください!


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