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JR東海が謝罪すべきは「お客様」だけなのか [自殺]

昨夜、JR東海道新幹線で男性が飛び降り自殺した。自殺した男性は、JR東海の職員であった。
これにより約三万人の足に影響が出て、約三千三百人が車内で一夜を明かした。JR東海は記者会見で「鉄道事業に従事するものとしてあってはならないことで、多くのお客様にご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げたい」と謝罪した。

まずは、亡くなった方のご冥福をお祈りしたい。
それにしても吐き気のするニュースだ。ひと一人が死んだことよりも、乗客に迷惑がかかったことのほうが重要視されている。その上、亡くなった人に対して「あってはならない」と責めている。日本には「死者に鞭打つ」という言葉があるように、どういう事情や過去があろうと、死んだ人は責めないって文化があった気がするのだが。(もちろん、それが絶対的に良いことではないけど)
伝えられたところによると、亡くなった男性は今月始めに部署異動したばかりである。
もし仮に仕事の情況が自殺に影響していたなら、JR東海が詫びるべきは、まずは亡くなった従業員に対してであり、残された遺族に対してであるはずだ。しかし、自殺の理由がまったく言及されないままに「迷惑な死に方しやがって」的な扱いである。どうかしている。

その雰囲気の中で思い出したのは、今年2月、同じく電車に飛び込み自殺しようとした女性のことだ。たまたま居合わせた警官が助けに入り、警官は亡くなり、自殺を試みた女性は助かった。かなり大きなニュースになったので、ご記憶の方も多いかと思う。
私は一連の報道を見ながら、ひどく怯えたのを覚えている。
なにに怯えたって、自殺を図った女性へのバッシングが始まりはしないか、ということにだ。「お前が自殺しなきゃ、あの警官は助かった」と、口に出さなくても、多くの人が思っていたのではないか。
そして、彼女がなぜ自殺に走らざるを得なかったかはまったく注目されないまま、この女性はもう死ぬことを許されないだろう。正義感溢れる警官の命を犠牲にして生き残ったのだから、ことによるとフツーの人々よりも道徳的に、よき国民として生きることを強いられるのではないか。私にはそれが怖かった。
賛美される死と、迷惑行為とされる死を作り出す価値観に、気持ち悪さを感じた。

更に連鎖的に思い出したのは、去年だったか今年にやっていたワイドショーだ。青木ヶ原樹海を題材にしていた。まずは「自殺の名所」としての側面がいくつか伝えられ、後半は、樹海でこどもたちに自然の素晴らしさを教えるツアーを実行している、ボランティア団体が紹介された。
そこでボランティア団体の人は言ったのだ。
「こどもたちが自然の素晴らしさ、命の尊さを学ぶ場所で、多くの大人が自殺している。迷惑な話です」
背筋の寒くなる思いだった。しかも、この発言に対してだれも批判しない。
ひと一人の、いや多くの人の死を「迷惑」の一言で片付けられる感性。これのどこが「命の大切さを教えている」なのか理解に苦しんだ。

今回の自殺で影響を受けた新幹線利用者は3万人。
3万人か。日本の年間自殺者数と同じだ。
奇妙な符合を前にして、窒息しそうな息苦しさを、この社会に感じる。


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