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自殺は「自己責任」なのか [自殺]

昨年11月末にNHKで放送された「ETBワイド ともに生きる」の自殺特集の中で、政治学者である姜尚中が「自殺未遂者との表現は適切ではない。サバイバー(生き残り)と見るべきだ」といった趣旨の発言をしたことが、心に残っている。
確かに考えてみれば「自殺未遂者」とはおかしな言い方である。じゃあ、実際に死を遂げた人は「自殺成功者」なのか。
そう考えてみると、そもそも「自殺」も適切な言葉なのだろうか。もちろん、「自殺」した人々は、少なくとも物理的には"自ら"命を絶っているが、その要因にまで考えをめぐらせれば、多くは多重債務・過労・いじめといった社会的な要因が背後に存在している。いわば自殺者は、社会的な要因によって死に追い詰められた「社会的な殺人」の被害者とも言える。
しかし、例えば「自殺」に代わる言葉として「自死」があり、この言葉は大辞泉によれば「意思的な死を非道徳的・反社会的行為と責めないでいう語。」と定義されており、それは裏を返せば、自殺は多くの場合「非道徳的・反社会的行為」として責めの対象であることをも意味している。

自殺は長年にわたって、特に日本では、個人の価値観の問題とされた来た。同じ(不幸な)境遇にあっても死ぬ人と死なない人がいるのだから、いかなる背景があろうとも結局は個人の選択であって、ようは自己責任であるとみなされ、それゆえに社会的な対策はほとんど取られてこなかった。また一方で、自殺者は「死を選んだ弱い人」とみなされ、自殺者自身もその遺族も、保護されるのではなく責められる対象となってきた。
確かに、同じような不幸(借金・過労・いじめ)にあっても、死ぬ人と死なない人はいるだろう。しかし、その境遇にあれば多くの人が死ぬことが予想される場合、その状況の中での自殺を「個人の判断」として片付けることは出来ない。
以前にも書いたが、自殺者のほぼ半数は失業者や無業者である。また昨今では、就業していても、過労自殺に代表されるような「労働状況の悪化による自殺」も増えている。貧困と労働の問題は、多くの自殺に直結しているだろう。
多重債務者も、そのほとんどは医療費や家計のための借金(貧困による借金)が発端で、一般にイメージされる「ギャンブルで散在して借金を抱える」といったケースはごく少数であるし、仮にギャンブルで散在したことから経済苦に陥ったとしても、それが「死を持って清算するしかない」ような過ちであるはずも無い。
貧困からいとも簡単に借金苦に追いやられ、それを保険金によって清算することが現実に可能な社会システムこそが、多くの自殺を生み出している。

昨年6月に「自殺対策基本法」が施工され、政府が「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」であることを認めたことで、国をあげての自殺対策が始まっている。もはや、自殺の原因を個人のみに押し付けることは許されない。
「自殺」という名の「社会的な殺人」がいかに減少していくのか、自殺大国ニッポンが変容を遂げることを信じ、その動向に注目したい。

【自殺対策基本法】
http://www.lifelink.or.jp/hp/syomei.html
【ETVワイド ともに生きる】
http://www.nhk.or.jp/heart-net/wide/archives.html
(11月が該当部分)


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