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若者バッシング=貧困×自殺 [総論]

「若い奴にやる気がないから経済が破綻したんだ」とか「若い奴らは進んでフリーターを選択しているんだから、貧しくても自己責任だ」といった論調は急速に淘汰されて来ていると思う。多くの若者が声を上げ、ネカフェ難民に代表される「新しい貧困」を社会に認識させてきた成果だ。
しかし、いまだに若者バッシングが終わったわけではない。テレビをつければ、とんでもない学生や、とんでもない若い親や、とんでもない若い社員への非難を頻繁に目にする。

こういう若者バッシングが始まったのは、いったいいつの頃からだろう。
私は今26歳だが、個人的に世代の話をすれば
15歳の時(97年)に少年Aの事件が起き、少年犯罪の凶悪化が、実体のないまま問題視された。
99年には「分数ができない大学生」が出版され、勉強しない若者・学力低下が問題となった。
翌年には17歳の犯罪がクローズアップされ、「キレる若者」が増加していると問題視された。
就職する時期は「就職氷河期」の真っ只中で、正社員雇用は数少なかった。
働き始めると「フリーター」が責任感のない若者として非難され始めた。
しばらくすると「ニート」が労働意欲のない若者として問題視された。
家庭を持ち、子どもが出来る年齢になると、給食費未納に代表される「とんでもない若い親たち」が問題視された。
こうして振り替えってみると、なんだかここ10年以上、私の世代は問題視されっぱなしだ。とにかく「やる気も能力もモラルも常識もない人々」として、これほどメディアに取り上げられ続けた世代も珍しいのではないか。よくまぁ、長期間に渡って飽きもせずバッシングされたもんである。

しかし実はその間、雇用を取り巻く法律が「規制緩和」の名の下に度々変更され、非正規雇用が急増し、多くの若者が不安定な雇用へと追いやられた。一方で少年犯罪については厳罰化の声が高まり、少年法もまた「改正」された。また最近では教育再生会議の「親学」が話題になった。雇用の場面でも犯罪の場面でも家庭教育の場面でも、すべての問題を自己責任で処理して、「一度ルートを外れたら終わり」が若者に対して明確に制度化されてきた。
企業・メディア・国という「強者」の代表のような存在たちが、一丸となって「弱者」であるはずの若者を攻め立て続けている。
この社会は、なにを切り捨て続けているのか。
若者の「自己責任」にしておくことで、都合が良いのは誰なのか。
いい加減、世間は気づいて良い頃だと思う。いや気づいてくれないと困る。

日々、メディアを通して若者が存在否定され、メディアを見た世間に存在否定され、世間の声によって法的にも存在否定されて行く。そんなルートがいつの間にか出来た。
今年は大学生や生徒・児童の自殺率が、統計を取り始めて以降、最多となった。20代と30代では死因のトップが自殺。10代後半でも死因の2位が自殺である。若者の自殺と、10年以上に渡って手を変え品を変え繰り返される「若者バッシング」は、この上なく根深く、繋がっているのではないか。

<<記事を書くにあたり、影響を受けました>>
【「生きさせろ!難民化する若者たち」:著/雨宮処凛】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4778310470/sanctuarybook-22/ref=nosim
【雨宮処凛ブログ】
http://www.sanctuarybooks.jp/sugoi/blog/


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